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ドイツの神話伝説
目次
- ニベルング物語
- グードルン物語
- 幻の女
- 脱走騎士
- 白鳥騎士
- ハット―僧正と鼠
- ディートリッヒ伝説
- 魔剣の力
- 接吻の賭
- 聖杯物語
- 水の魔の子孫
- 巫女バシナ
- 血戦の悲しみ
- バラチン家物語
- 骸骨の戦い
- 裏切者の運命
- ローレライ伝説(その一)
- ローレライ伝説(その二)
- ムンメル湖の水魔
- 物好きの罰
- 聖ウルスラ物語
- 不義の讒言
- 二人兄弟
- 騎士の誓い
- ソリンゲンの刀鍛冶
- コローン大寺院の建築者
- コローン大寺院の建立
- 悪魔の賭
- 獅子の檻
- 白馬の怪
- 魔法の饗宴
- 悲恋の騎士
- 生か死か
- せむしの音楽師
- 大蛇の願い
ドイツの神話伝説
ドイツの神話はチュートン族の神話の一部を形成するもので、北欧スカンディナヴィアの神話と兄弟関係を成す。
書物一覧
| 書名 | 著者 | 内容等 |
| ドイツ神話学 | ヤコブ・グリム | ドイツの神話が北欧と血縁的関係を持つことを、以下のように立証した。- スカンディナヴィア人とドイツ人との言語の類同、及び古詩の同一。
- 宗教的崇拝に関する多くの名辞が、両者において共通していること。
- 神話的観念および神話的呼称が、両者において同一となること。
- 英雄伝説に結びついている宗教的神話の結合形式が、両者において著しく類似していること。
- 神話的要素が、種々の植物及び星晨に対してなした混融形式が、両者において甚だ類似していること。
- 古い宗教的教義に結合し、もしくは混入している律法の体形の類同。
|
| 地的環境の影響 | セムプル女史 | |
| 全世界の言葉 | ジョージ・ウッドベリー | 「中世時代において、その生活の創造的解釈に資源を供給した物は、実に騎士道の様々の形象がその一であり、キリスト教の精神的世界とそれらの騎士道的形象との口語作用がその二であり、魔的存在の呪法とキリスト教の霊的世界との交渉がその三である。」 |
| 悪魔学 | コンウェー | |
| 悪魔史 | ロスコフ | |
| 悪魔に関する研究 | ヒルド | |
| 英国文学史 | ラフカディオ・ハーン | |
地形
ニベルング物語
ニベルング物語の種類
ニベルング物語は33種類もあると言う。カール・ラッハマンの説によると最も古くて確実なのは第一の記録(ホーヘネムス・ミュンヒエンの記録)で第二と第三は第一を増補したものという。また、今日伝わるニベルング物語は20の詩からなっているという。
アードルフ・ホルツマンとフリードリッヒ・ツァルンケの二人は第三の記録が最も古く、第二の記録はこれを簡略したもので、第一のは第二のものをさらに簡略化したものという。
長い間この叙事詩の作者はハインリッヒ・フォン・オフテルディンゲンと考えられていた。しかしラッハマンの一派はニベルングの詩篇は多くの民謡を集めてなった者であって、一人の作者の者ではないとしている。ただ、集録者が一人であると言うことは許していいと言っている。
| 記録 | 説明 |
| ホーヘネムス・ミュンヒエン記録 | 十八世紀の中頃、スイス詩社のボードメルがホーヘネム城中から発見。1810年以来ミュンヒエン博物館に保存されている。 |
| サンクト・ガルレン記録 | 歴史家エーギディウス・チューディが所持していたもの。 |
| ホーヘネムス・ラスベルグ記録 | ホーヘネム城中に保存せられていたが、後ラスベルグ男爵の手に返した。 |
登場人物一覧
| 人物名 | 説明 |
| ダングラート(Dankrat) | ブルグンディの王者 |
| グンテル(Gunther) | ダンクラートの4人の子の一人。男。ダンクラート王が死ぬと、ライン河の辺のウォルムズ(Worms)を都としてブルグンディの国を治めた |
| ゲルノート(Gernot) | ダンクラートの4人の子の一人。男 |
| ギゼルヘル(Giselher) | ダンクラートの4人の子の一人。男 |
| クリームヒルド(Kriemhild) | ダンクラートの4人の子の一人。女 |
| ウテ(Ute) | クリームヒルドの母。呪術と夢判断とに長けているということで名高い。 |
| ジークムント(Siegmund) | ライン河下流ネザルランドの王 |
| ジークフリード(Siegfried) | ジークムントの息子で英雄児 |
| ハーゲン(Hagen) | グンテルの叔父。2人の白鳥乙女に未来を教えてもらい、渡し守に自分がアメルリッヒと言う。 |
| ルーデゲル(Ludeger) | サクソン人の王 |
| ルーデガスト | デンマークの王 |
| ブルンヒルド | イスランドの王女 |
| アルベリッヒ | ニベルングの王 |
| グンテル | クリームヒルドとジーグフリードの子 |
| ジーグフリード | グンテルとブルンヒルドの子 |
| エッチェル(Etzel) | ハンガリー王、妃を失って、クリームヒルドと結婚する。 |
| リューディゲル(Rüdiger) | エッチェルの騎士。ハーゲンと友達。ゲルノートと刺し違えて死ぬ |
| オルトウィン | 要素 |
| ディートリヒ | |
| フォルケル | 要素 |
| ブローデリン(Blodelin) | エッチェルの弟 |
| オルトリーブ | クリームヒルドとエッチェルの子供 |
| ダンクワルト | 要素 |
| ヒルデブランド | |
あらすじ
【ダンクラート王とグンテル王】
ブルグンディの王者ダンクラートという王者は四人の子供、グンテル、ゲルノート、ギゼルヘルという男児とクリームヒルドという女児を持っていた。ダンクラートの死後はグンテルが王となりライン河のウォルムズを都にしてブルグンディの国を治めていた。
【クリームヒルドの夢】
ある日クリームヒルドは悪夢にうなされ、彼女の母ウテはその夢をいつか恋する王子であり二羽の鷲は王子を殺す曲者だと占い、クリームヒルドは生涯夫を持つまいと誓った。
【ジークフリードの登場】
その頃ライン河下流ネザルランドの地にジーグムントという王者があり、ジーグフリードという若い英雄児がいた。クリームヒルドの美しさが噂となり、ジークフリードは自分の妻にしたいと考えたが、両親は遠い国に我が子を手放すことを拒み引き留められた。ジークフリードは両親の反対を聞かず一人武士を連れてブルグンディへ向かった。グンテル王の叔父のハーゲンはジークフリードを見て彼が恐ろしい悪竜を退治した強者で、その竜の血潮を浴びて剣も槍も通らぬようになったこと、誰にも気づかれない霊妙な衣を持っているということをグンテル王に告げ、ジークフリードを館に招くと彼は領地を賭けた一騎打ちの勝負を申し出た。グンテル王はことを荒立てると面倒だと思って、客人の意を迎えることに努め、日ごと華やかな饗宴を催した。
【ジーグフリードの働き】
ジークフリードの逗留は1年に及んだが、館の奥深く住んでいるクリームヒルドは一度もその姿を見たことがなかった。しかし時折腰元たちの口から洩れるジークフリードの噂を聞いて想像をするのだった。折からサクソン人の王ルーデゲルとデンマーク王ルーデガストとが兵を併せてグンテル王の領地を襲ってくるという噂がたった。グンテル王はハーゲンに相談すると、ジークフリードに相談をするといいと答え、グンテル王はジーグフリードに会って、敵を追い払ってほしいと言った。ジーグフリードは快く引き受けて、千の兵を借りてサクソニーへ攻め入った。クリームヒルドを腰元からそれを聞いて気を揉んでいた。ジーグフリードは散々い敵勢を駆け悩まし、大勢の捕虜を捕らえてブルグンディに帰ってきた。
【ジークフリードとクリームヒルド】
一人の使者が勝軍の次第を王に詳しくつたえると、クリームヒルドの腰元は呼び止めて、クリームヒルドの許に来るように伝えた。クリームヒルドはジークフリードの武勇を聞きたいといい、その話に夢中になっていると、ジーグフリードが帰ってきた。クリームヒルドはジーグフリードを眺め続けた。勝ち戦の祝いの擬戦への行き来に姫を守る役目をジーグフリードが当たることになった。クリームヒルドはあまりの嬉しさ恥ずかしさに空を渡る気持ちで足を運び、ジーグフリードは姫の姿が思うにまして美しいのに驚いた。そして己が思いをクリームヒルドに囁くと、彼女は静かにうなずいた。二人の間には堅い約束が成り立った。
【グンテル王とブルンヒルド】
催しが終わるとジーグフリードは自分の国に帰ろうと思った。しかしグンテル王はイスランドの王女ブルンヒルドという美しい姫を妻にしようと考えていたが、ブルンヒルドは自分より強い男でないと夫にしないというので、ジーグフリードに手伝ってもらいたいと思っていた。そのことをジーグフリードに伝えると彼はブルンヒルドにはかなうはずがないと、思いとどまるように伝えたが、グンテル王はジーグフリードの諫めを聞かなかった。そしてジーグフリードにブルンヒルドさえ手に入ればクリームヒルドはジーグフリードに差し上げると誓った。ジーグフリードは仕方がないので、グンテル王に従ってハーゲンと二、三人ブルンヒルドの館を訪ねると、ブルンヒルドはジーグフリードが自分と技を比べるのだと思ったが、相手がグンテル王とわかると態度を変えた。ジーグフリードは不思議な衣に包まれてグンテル王を助け、姫は試合に敗れ妻となることになったが、ブルンヒルドはグンテル王をどうしても好きになれず、結婚式に際して夥しい軍勢を呼び集めた。ジーグフリードはこれをみて船でニベルングに漕ぎつけた。ニベルング王アルベリッヒは懸命に防ぎ戦ったが、どうしてもかなわず、ジーグフリードに降参した。ジーグフリードはアルベリッヒからたくさんの兵を借り受けブルンヒルドに押しかけて来た。姫は降参して、結婚式を済ませて、グンテル王に伴われて、ブルグンディに赴くことになった。ウォルムズの館でクリームヒルドはジーグフリードの働きを聞き自分の部屋で微笑んだ。グンテル王はジークフリードとの約束のとおりクリームヒルドをジークフリードの妻として与えた。ジーグフリードは先に征服したニベルングの財宝を愛の徴にクリームヒルドに与えた。姫の顔はもううこの世ならぬ喜びようであった。
【ブルンヒルドの落ち度】
ブルンヒルドは思いを賭けた英雄ジーグフリードが他の女の手におちて、自分は好ましくないグンデル王の妻となったと思うと口惜しくて堪らなかった。ある夜姫は寝床からおきてグンテル王を長い紐で締め付け、自分は寝床に入ってしまった。夜が明けると、姫は夫を開放して何喰わない顔をしていた。王の家来たちは王の顔色が青ざめているのを怪しんだ。王はジーグフリードに妻の乱暴を話し相談した。ジーグフリードはグンテル王に協力して、不思議な衣を着ると、夜にブルンヒルドの部屋に忍び込むと、明かりを消し、姫はグンテル王と暗闇の中に座り込むことになった。ジーグフリードは姫の腕をつかみ押し倒し、グンテル王が叱りつけると、姫は今までの行いを詫びた。ジーグフリードはブルンヒルドの言葉を聞いて、音もなく部屋の外に出て行った。
【ブルンヒルドとクリームヒルドの対立】
しばらく経つとジーグフリードはクリームヒルドと自分の国へ帰って行った。クリームヒルドは子を産んで、その子に義兄の名をつけてグンテルと呼ぶことにした。グンテル王もブルンヒルドとの間に生まれた男の子にジーグフリードと名付けた。ブルンヒルドは、ジーグフリードを自分の夫に仕える武士の一人と思い込んでいた。それでジーグフリードが夫の許に訪ねてこないのを不審に思って、夫に勧めて彼ら夫妻を呼び寄せることにした。そしてジークフリードとクリームヒルドの夫婦は老臣に後のことを頼んでブルグンディへやってきた。ブルンヒルドはおごり高ぶった様子をして、ジーグフリード夫婦を迎えた。心の敏いクリームヒルドは、ブルンヒルドが自分たち夫婦をグンテル王に仕える者と見下している心に気が付いて、無念に思った。ある日二人は、一間で様々な物語をしていた。夫ジーグフリードの雄々しさに心服しているクリームヒルドは、たびたび言葉の端にそれを誇った。ブルンヒルドはそれを聞きとがめて、穏やかならぬ気持ちになった。果ては言葉荒く、どんな強者でも自分の夫の家来だと言った。クリームヒルドはこうした兄嫁の言葉を聞くと、たちまちかっとなって、そのまま座を立ってしまった。寺院の礼拝の時がきて、二人の女はめいめい豪華な装いをして、数々の腰元を連れてきた。寺院の入口に着いたとき、二人は互いに先を争った。そして激しい言葉争いに火花を散らした末、クリームヒルドは、ジーグフリードがブルンヒルドを取って押さえたとき彼女から奪い取って、何気なく自分の妻に与えた物だった。ブルンヒルドは自分の帯と指輪を見て、真っ赤に恥じ入った。そこですぐに夫のグンテル王を呼んで、クリームヒルドの言葉を話した。王は怒ってジーグフリードを呼んだ。ジーグフリードは事の起こりを聞き出して、一大事になってはまずいと思い、クリームヒルドは嘘を申しているから自分が叱り置くと言ってその場を取り繕った。しかしブルンヒルドの胸は、そんなことでは休まらなかった。
【ハーゲンの計略】
彼女は不貞者と罵られ泣き続けた。ハーゲンは彼女を慰めて子細を尋ねた。彼女は、訳を話すと、ハーゲンは女の涙に動かされて、その無念を晴らすと誓ってしまった。ハーゲンは王の兄弟、ゲルノートとギゼルヘルにジークフリード夫婦のブルンヒルドに対する振舞いの無礼なことを説いたが、彼らはハーゲンの言葉に、女の口に惑わされるのは武士の恥だと言って耳を貸さなかった。仕方なく、今度はグンテル王の心をあおり出し、グンテル王はとうとうジーグフリードを恨むようになり折があったら彼を殺そうとまで思い詰めた。しかし、ジーグフリードは、いつぞや悪竜を退治したとき、その血を体中に浴びて、鉄をも断つ剣も岩を貫く槍もその体を傷つけることができない。ただその折に菩提樹の葉がその体に散りかかって、悪竜の血を遮ったので、そこだけが傷つきやすかった。ハーゲンはどうにかしてその箇所を知りたいと思い、クリームヒルドに近づいて行った。彼女と話しているうちに、その箇所が双の肩の中央であると言うことが分かった。ハーゲンは、これでジークフリードを倒すことができるとほくそえみながら、クリームヒルドにその箇所を小さな十字で縫うと良いと伝えた。クリームヒルドは怪しんだが、ハーゲンが危うい時に助けになると言うので、夫の身を案じてハーゲンを信じて、夫の衣の背に十字を縫い付けた。
【ジークフリードの死】
その翌日山狩が催された。ジーグフリードも誘われて、その一行に加わった。クリームヒルドは出かける夫の腕にすがった時胸騒ぎを覚えて、なんとなく気が沈んだ。そして勢いよく出て行く夫の後ろ姿をじっと見詰めて、深い息をついた。ジークフリードの働きは一行の眼を驚かした。彼は数頭の猪を殺し、一頭の熊を生け捕りにした。昼食の折、彼は喉の渇きをとめるために、一杯の酒を乞うた。かねて企んでいたことでも、ハーゲンはあちらこちらを探し回るような風をして、酒はどこにも見当たらない、他の人が持って行ったようだ、と答えた。ジーグフリードはがっかりして、暫く黙り込んでいた。すると、ハーゲンは森の彼方を指して、向うに美しい泉があるから一緒に飲みに行ったらいいと言った。ジーグフリードは勢いづいて、泉の所まで走り比べしようと言った。グンテル王とハーゲンはジークフリードの挑みに応じた。そして三人が一緒に懸命に駆け出し、ジークフリードは一番に泉の側に着いた。ジークフリードはまずグンテル王に水を飲ませた。王が泉の端から引くと、彼が代わって水を飲んだ。ハーゲンはひそかに武器を遠ざけると槍を摑んでジークフリードの背の十字を貫いた。ジークフリードは驚いて身を起こし、痛手をこらえて、自分の武器を探したが、近くに楯が残っているだけだったので、楯を摑んで、ハーゲンめがけて投げつけた。ハーゲンは楯に打たれて後ろに倒れたが、ジークフリードは力が尽きてしまった。ジークフリードは息が尽きる前に妻のクリームヒルドの身の上をグンテル王に頼みやがて息を引き取った。
【ジークフリードの葬儀】
狩りに来た人々はジーグフリードの屍の周りに集まった。彼らはどうしてハーゲンの卑怯な振舞いを隠そうかと相談した末、とにかく亡骸を王の館に持ち帰って、森の中に死んでいたと言いふらすことにした。ハーゲンは亡骸を運ぶ人々に言いつけて、夜の暗さにまぎれて屍をクリームヒルドの部屋の前に捨てさせた。朝の祈りに出かける時に亡骸を目の前に晒そうという考えからだった。クリームヒルドは夫の亡骸を見つけて気を失った。我に返った時には亡骸に縋りついて、泣いた。彼女の耳にはどこからとなく、暗殺だ、卑怯なだまし討ちだという言葉が聞こえるようであった。クリームヒルドはすぐに使いを立てて、悲しい知らせを夫の父ジークムントとニベルングの王アルベリッヒに伝えさせた。二人は甲冑に身を固めて、大勢の兵を連れて駆けつけて、ブルグンディの人々に打ってかかろうとしたが、時がまだ早いと思ったクリームヒルドはその由をジークムントの耳にささやいて、兵どもを押し沈めた。ジークフリードの最期を辱めないように華やかな葬式を行い、その亡骸を寺院に置いた。ウォルムズの人々は皆涙を流し、クリームヒルドを慰めた。グンテル王も彼女に弔辞を並べようとしたが、彼女は身を退けて、狩りに加わった者は皆ジークフリードの亡骸に手を触れてほしい、これを拒むものは夫の敵だと言った。人々は皆ジークフリードの亡骸に手を触れた。亡骸には何の変わったことも起こらなかった。しかし、ハーゲンが亡骸に手を触れたとき、ジークフリードの背の傷口から血が流れ出た。まぎれもなく罪のある人の証拠だった。ニベルングの兵はこれを見て再び騒ぎ出し、剣を手に取ってハーゲンめがけてとびかかろうとした。クリームヒルドは再びこれを押し止めた。クリームヒルドの胸の内を心から察しているゲルノートやギゼルヘルは彼女をいたわって世話をした。そしてジーグフリードの葬式は滞りなく済んだ。
【ニベルングの財宝】
しばらくすると、ジーグムントはニベルングの兵と一緒に国に帰ることになった。クリームヒルドも一緒に帰ろうとすると、兄のグンテル王や親類は引き留めるので、彼女はブルグンディに居残って、絶えず夫の墓を訪れることにした。三年の月日がたち、クリームヒルドはまだ恨みと怒りが燃え続けていた。彼女はグンテル王やハーゲンに顔を合わせることを拒んで一人寂しい日を送っていた。ただゲルノートとギゼルヘルだけが、代わる代わる訪ねてきて、優しい言葉に妹を慰めるだけだった。欲の深いグンテル王はクリームヒルドが夫から贈物としてもらったニベルングの財宝が欲しくて堪らなかった。王はハーゲンと心を併せて、それとなくこの財宝のことをクリームヒルドににおわせた。愛する夫を失った身には、財宝も塵埃と同じだった。彼女は言われるままに十二人の男を遣って、ニベルングの財宝をブルグンディに取り寄せ、クリームヒルドは財宝を人々に分け与えた。ただハーゲンばかりはその一片ももらうことが出来なかった。ハーゲンは気が狂う程苦しみ悩んだ。そして、とうとう財宝の蔵の鍵を盗み出して、財宝はすっかり人の知らないところに隠し、鍵はライン河の水底深く沈めてしまった。クリームヒルドは重ね重ね卑怯なハーゲンの振る舞いに新しい怒りを燃え立たせた。彼女は今度こそブルグンディを立ち去ろうとした。しかし、人々が手を合わせて引き留めるので、そのままにしていた。そしてとうとう十三年の月日がたった。
【クリームヒルドの再婚】
ハンガリーの王エッチェルが近頃妃を失って、寂しい年月を過ごしているということを聞き込んで、リューディゲルという騎士を遣って、結婚を申し込んだ。騎士は多くの供回りを連れて、ブルグンディの都ウォルムズにやってきた。ウォルムズの人々は一行を親切にもてなした。ハーゲンはリューディゲルとは年頃の友達であったので、親しく取り扱った。やげてリューディゲルはグンテル王に会って、クリームヒルドを妃にしたい旨を述べた。グンテル王は喜んで、妹を説きつけると答えた。ハーゲンはこれを聞いてクリームヒルドの怒り恨みが自分たちに向いているため、ハンガリー王の妃となったら復讐をすることを恐れた。そして、グンテル王の考えを変えさせるように努めた。しかし、グンテル王は妹が寂しい思いをすることに心を悩ましていたため、ハーゲンの言うことを聞き入れなかった。王はクリームヒルドをを解き立てエッチェルの妃にしようとしていた。クリームヒルドは始めの内は頑なだったが、王が勧め立て、エッチェル王の軍勢がクリームヒルドの思うままになることを話すと、彼女の眼が怪しく光った。そして彼女はとうとうエッチェルの妃となることを承知した。彼女は大勢の腰元を連れて、リューディゲルと一緒にハンガリーに行ってエッチェル王の妃となった。やがて二人の間に一人の男の子が生まれた。オルトリーブという名である。
【クリームヒルドの計略】
こうしてまた月日がたった。復讐の一念を燃やし続けているクリームヒルドは、どうにかしてハーゲンをハンガリーにおびき寄せようとして、日ごと心を砕いていた。とうとう彼女はある日エッチェル王に夏の遊びと催してブルグンディの人々を招くように頼んだ。深い企みがあると知らずエッチェルはその言葉に従って、二人の歌人をブルグンディにやることにした。クリームヒルドは歌人たちに自分の居間に呼び入れて、ハーゲンを招くことを固く言い含めた。二人の歌人がブルグンディに着いて、グンテル王にエッチェル王の意を通ずると、人々は皆喜んで招きに応ずることにした。しかし、ハーゲンは困ったことになったと思い王にハンガリーに赴いたら災いが降りかかると言って王に思いとどまるように言った。しかし他の者はハーゲンに嘲りの笑みを投げかけた。ハーゲンは自分だけ館に残って臆病者と呼ばれるのが無念さに、ハンガリー行きに加わることにした。一行はグンテル王、ゲルノート、ギゼルヘル、ハーゲン、オルトウィンなどである。
【白鳥乙女の予言】
グンテル王たちは国を出て十二日でダニューブ河の畔についた。船も渡し守も見えない。ハーゲンが船を探すためにあちらこちらと歩き廻っていると、声が聞こえたので、藪陰から透かして見ると、二人の白鳥乙女が、羽衣を脱いで泉の中に浸かっていた。白鳥乙女には未来を知る力が備わっている。そこでハーゲンは乙女たちにハンガリー息の吉凶を聞き取ろうと思って、そっと忍び寄って羽衣を盗んだ。乙女たちはそれに気づくと、恥ずかしそうにハーゲンの側に来て、羽衣を返してくれと頼んだ。ハーゲンは未来を知らせてくれたら返すと言った。乙女たちは未来のことはやたらに人間に知らせたらいけない掟だと言った。ハーゲンは羽衣を自分の物としておくと言うと、乙女たちは堪り兼ねて、生きてブルグンディの土を踏むことのできるのは、牧師の方だけで、船はハーゲンがアメルリッヒと名乗らなくては渡し守が向こう岸に渡してくれないと言った。自分たちの悲しい運命を知ったハーゲンは、忌々しくて堪らなかったが、仕方がなく羽衣を返した。乙女たちはそれを身に付けるとどこかへ消え失せた。
【ハーゲンとクリームヒルド】
ハーゲンは向う岸を見た、すると一隻の船がつないであった。彼は渡し守を呼んだが、渡し守は動こうともしない。ハーゲンは褒美はいくらでも出すと叫んだがそれでも渡し守はじっとしていた。ハーゲンは仕方なく、自分がアルメリッヒだと名乗った。すると渡し守は動き出し船をこぎよせてきた。ハーゲンは真っ先に舟の中に乗り込んで、乙女たちの言葉通りになっていくので渡し守を殺してしまった。そしてグンテル王の一行を載せると、自分で舟を操って流れに浮かんだ。ハーゲンの頭の中には乙女たちの言葉が重くるしく纏わりついていた。彼はどうにか乙女たちの予言の裏をかこうと焦った。そこで牧師を摑んで水の中に放り込んだ。しかし、不思議と牧師は身をもがきながら岸辺に漂いついて、来た道をブルグンディ察して帰って行った。ハーゲンの心は重くなるばかりだった。グンデル王の一行は、途中でリューディゲルからの使いに会った。使いの者は王に向かって、クリームヒルドが恐ろしいことを企てている様子であるとリューディゲルからの伝言を伝えた。しかし一行の者はそのまま道を急いでリューディゲルの城に着いた。リューディゲルは心を尽くして一行をもてなした。暫く逗留した後で、一行は、リューディゲルに送られ、勇猛無比のディートリッヒの館に着いた。ディートリッヒもしきりに一行がエッチェル王を訪れることを止めた。しかし一行はその言葉に従いそうにないので、ディートリッヒもリューディゲルと共に、一向に伴ってハンガリーにエッチェル王を訪ねることにした。日ごとに物思いに沈んでいたクリームヒルドは、グンテル王の一行の姿を見ると、ひそかに凄い笑みを漏らした。一行が彼女に会釈しようと思って近づて行くと、彼女は嘲るような眼で人々を見やったまま、ただギゼルヘルだけをしかと抱きしめた。やがて、クリームヒルドはハーゲンの方を向いて、さも蔑んだよう口調で、ニベルングの財宝はどうしたのかと尋ねた。ハーゲンは肩をそびやかすようにして、財宝はライン河に沈めてしまった、最後の審判の日まで沈んでいることだろうと答えた。クリームヒルドは、忌々しそうにハーゲンに背を向けて、一行を大広間に案内した。皆がその中に入ろうとすると、彼女はそれを押し止めて、武器をはずすように言った。ハーゲンはこれを拒んで、何か恐ろしい企てがあると聞いている、武器を手放すのは断ると言った。クリームヒルドはこれを聞くと、悲しそうな顔をして、誰が証拠もなく言ったのかと尋ねると、ディートリッヒが自分が言ったと言い切った。クリームヒルドはディートリッヒを睨んだがディートリッヒは突っ立っていた。やがてエッチェル王が供回りを連れて、現れた。そして会釈が済むと、一行は王に案内されて、広間に入った。ハーゲンは後に残ってフォルケルを呼んで、こうなったからには卑怯なことをしないだけだと言うと、フォルケルも、言うまでもなく武士の名を穢さないようにすると答えて、二人は固く生死を共にすることを約束した。クリームヒルドは窓からハーゲンの姿を見つけて、急に兵を呼んで、ハーゲンを討って取るように言いつけた。しかし四百に余る武士も、ハーゲンを恐れて、たあ遠巻きにしているだけだった。クリームヒルドは気を焦らせて、階段を降りてきた。フォルケルは、彼女のただならぬ顔つきを見て、ハーゲンに会釈を進めたが、ハーゲンは口を堅く結んで、クリームヒルドを睨みつけているだけだった。彼女はさも憎そうにハーゲンを見て、ジーグフリードを殺したのは誰だと尋ねた。ハーゲンはそれは自分だと答えた。クリームヒルドは兵どもにハーゲンを討つように励ましたが、兵どもは物凄い眼にすくんで、じりじりと後に退くのだった。そのすきにハーゲンはフォルケルの手を取って、悠々と広間に入って行った。
【計略の最期】
広間での酒宴が済むと、エッチェル王は客人たちを寝室へ案内した。一行はすぐに寝床に入ったが、ハーゲンとフォルケルだけは眠らなかった。フォルケルはハープを弾いて、心を慰めていた。すると、真夜中に一団の黒い影が、足音を忍ばせて押し寄せてきた。しかし二人が用心厳しく寝室を守っているのを見て、そのまま消え失せた。殺気はエッチェル王の館に漂っていたが、気の良い王は少しもそれに気が付かず客人たちを楽しませようと努めた。もしグンテル王がクリームヒルドの企てををエッチェル王に知らせたなら、王は驚いて、すぐその企てを思い止まらせたに違いなかった。しかしブルグンディの人々は、命惜しさに女の計画を漏らすのは、恥ずかしい事だと考えて、どこまでも黙っているのだった。翌日は朝の祈りが済むと、試合が催された。ディートリッヒとリューディゲルはわざと試合に加わらなかった。館の人たちを負かしたら、争いの元だと考えたからである。しかし、フォルケルが誤って一人のハンガリー人を殺したので、争いの元となった。幸いエッチェル王が、双方の間に入ってなだめたので無事静まった。クリームヒルドはこれを聞くと、すぐに王の弟のブローデリンを呼んで、試合の場の出来事を大げさに言い立てた。武士の心をあおられたブローデリンはその気になって、大勢の兵と一緒に客人たちの館を襲った。客人たちは驚いて立ち上がったが、ダンクワルトの他は皆殺されてしまった。ダンクワルトはやっと敵勢の間を駆け抜けて、エッチェル王の居間に駆け込んだ。王の今では、グンテル王はじめブルグンディの主だった人々が集まって、酒宴を開いていた。エッチェル王は自分の小さい男の子を、グンテル王の膝の上に載せなが、大きくなったらブルグンディで立派な武士に育ててくれという話をしていた。一座の者は子供を見やりながら、その容貌の気高いことを誉め立てたが、ハーゲンだけはそっけなく子供をしり目にかけて、大きくならぬうちに死に果てる顔つきだと言い放った。一座はあまりの言葉に、しらけ渡った。エッチェル王は面白くない様子をして考え込んだ。その時ダンクワルトが駆け込んできて、ブルグンディの人たちが皆殺しになったと叫んだ。これを聞くとハーゲンは真っ先に飛び起こって、剣を引き抜くなり子供の頭を切り落とした。頭はクリームヒルドの膝に飛んだ。グンテル王をはじめ、ブルグンディの武士どもは、ハーゲンに倣って皆剣を抜いた。血烟(けつえん)がたちまちものすごく部屋の中を立ちこめた。エッチェル王は驚いて、うつけたように座り込んだ。クリームヒルドはけたたましい叫びをあげて、ディートリッヒの側に駆け寄った。彼女の眼には、石のようにかたくなな心でもと化してしまうような哀願の影が浮かんでいた。彼女の企てを憎んでいたディートリッヒはそれを見ると哀れに思って、角笛を激しく鳴らした。その音を聞きつけて彼の供回りが一斉に駆けつけてきた。グンテル王はこの有様を見て、ディートリッヒの側に歩み寄り、力添えを求めたが、ディートリッヒはどちらに力添えするにしても争いを大きくするばかりなので、自分はこの部屋を立ち退きたいと答えた。グンテル王は黙って、その言葉に従うほかはなかった。ディートリッヒはエッチェル王と、クリームヒルドを連れて部屋を出て行った。リューディゲルもそれに続いて供回りとともに出て行った。あとに残ったブルグンディの人たちとハンガリー人の間には激しい斬り合いが続いた。。やがてハンガリー人はすっかり床の上に倒れてしまった。エッチェル王は、修羅場を逃れたものの、気が抜けたようになって階段の下に突っ立っていた。ブルグンディの人たちはハンガリー人の屍を王の足元に投げ飛ばし、王は両手を握りしめて苦しみ悶えていた。クリームヒルドは兵の間を駆けまわって、ハーゲンを打ち取るように叫び続けた。兵どもはその言葉に動かされて、一散に階段を駆け上がったが、ハーゲンやフォルケルの激しい太刀風にバタバタと伐り倒された。クリームヒルドはこれを見て、館に火を放った。ハンガリーの兵どもは崩れ落ちる館を囲んで、鬨の声を上げた。階上に立てこもったグンテル王やハーゲンたちは炎に包まれながら、血をすすって喉の渇きを癒している。火は夜通し燃え続けた。そして夜が明けた。ブルグンディの人たちは、まだ焼け残った館の中に立てこもっている。クリームヒルドは驚き焦った。そしてリューディゲルの側に来て、ブルグンディの人々を打ち取るように頼んだ。リューディゲルは心の中で唸った。エッチェル王の使いとなって、クリームヒルドを妃に迎えたときにクリームヒルドの言葉のままにすると誓っていたのだ。しかし年頃の親しい交りを捨てて、恨みもないブルグンディの人たちに刃を向ける気も起きなかった。リューディゲルは黙って悶えているだけだった。クリームヒルドはその様子を見て、誓いを守らないのは本物の武士か、と詰め寄った。リューディゲルは狂気のようになって、兵どもを励まし火に焼けた館を取り囲んだ。彼は苦しそうな顔をして、上を仰ぎながら、ブルグンディの人たちに、武士の誓いにそむけないため心ならぬ太刀打ちとなる旨を叫んだ。ブルグンディの人たちは黙ってうなずいた。こうしてまた激しい斬り合いが始まった。リューディゲルは、数々の兵をなぎ倒し、夜叉のように荒れまわっていたが、やがてゲルノートと引き組んで刺し違えて倒れた。クリームヒルドは、胸をわくわくさせながら、一心に勝負をうかがっていたが、リューディゲルが討死をしたと聞くと、もだえ苦しんだ。力と頼むリューディゲルを失くしては、もはや彼女のために血を流してくれるものがありそうになかった。彼女は泣きだした。ディートリッヒはリューディゲルが死んだと聞くと、せめてもの心やりに亡骸を引き取らなければと、ヒルデブランドを呼んで、このことを頼んだ。ヒルデブランドは、一隊の兵を率いて館に近づいた。焦熱地獄に追い込められたブルグンディの人たちは、黒煙と火焔と血潮とに眼が眩んで、この一隊までも、自分たちの仇と思い込んで、罵った。一隊の兵どもも黙っていなかった。やがて口先の争いをもどかしく思い剣を揮って入り乱れた。昼夜の戦いに疲れ切ったブルグンディの人たちは床の上に伐り倒されていった。ただグンテル王とハーゲンだけが悪霊のように狂いまわっている。その太刀先にヒルデブランドの兵どもも残り少なくなった。ヒルデブランド自身も深傷を負って、喘ぎあえぎディートリッヒの側に引き返してきた。今までどちらにも味方しなかったディートリッヒも、これを見ると、かっと腹を立てて、急いで甲冑に身を固めると、兵どもを連れて、グンテル王とハーゲンとを囲んだ。二人も疲れ切っていて、ディートリッヒに歯向かう勢いもない。ディートリッヒはとびかかって、二人を縛り上げた。そしてクリームヒルドの前に連れてくると、二人の命は許したほうがいいだろう、二人の罪には、縄目の恥で充分だ、と言った。クリームヒルドは、その言葉が耳に入らぬようで、後ろ手に戒められた二人を冷ややかに見下ろしていた。やがてグンテル王とハーゲンとは、クリームヒルドの命令で、めいめい違った部屋に押し込められた。薄暗い壁にもたれながら、ハーゲンは目をつぶっていた。ジーグフリードの死、クリームヒルドの自分に対する憎しみ、ライン河の水底に沈めた財宝の鍵、白鳥乙女の予言、激しい苦闘、様々の思い出が、幻のように彼の心に浮かんではまた消えていく。やがてその幻の中に一人の女の姿が現れたかと思うとクリームヒルドが冷たい目つきをして、彼の前に突っ立っていた。エッチェル王やヒルデブランドもその後に続いた。やがてクリームヒルドは、ハーゲンに向かって、財宝の在りかを明かすように、そうすれば命を許してあげると言った。ハーゲンはクリームヒルドの言葉を本当だと思うことが出来なかった。彼は冷ややかな口調で、主君存命の間は、骨を砕かれても、財宝の所在は口外しないと答えた。これを聞くとクリームヒルドは黙ってその場を去り、しばらくして、グンテル王の首をもって現れた。一座の者は彼女の凄まじい仕業に眉をひそめた。クリームヒルドはその首を突き付けるようにして、宝の所在を明かすようにとハーゲンに促した。ハーゲンはグンテル王の痛々しい最期を見て、そっと唇をかんだが、急に笑い出して、主君が死なれたならば、宝の所在を知っている者は神様と自分だけだ。それならばいよいよ以て口外しないと言ってのけた。これを聞くとクリームヒルドは歩み寄って、ハーゲンの腰から剣を引き抜いた。見るとそれは亡き夫ジーグフリードが秘蔵していた剣だった。彼女は、思いがけなく夫の剣を目にすると、今までの恨みを一度に燃え立たせて、ハーゲンの首を撃った。ハーゲンの首は血を吹いて床の上に転がった。余りに猛々しいクリームヒルドの振る舞いに、一座の者はみな憎しみの眼で、彼女を睨みつけた。ハンガリーはこの女を迎えたために、数百の兵を失った。命と思う主君の子供迄も合えなく露と消えた。こう思うと、ヒルデブランドは、覚えず剣に手をかけ、手がおのずと動きクリームヒルドを伐り倒した。こうして、エッチェル王の夏の遊びは、恨みに狂う一人の女のために、修羅の巷となってしまった。ブルグンディの人たちは、酒の香りや歌人の詩にうっとりとならないうちに血潮を浴びて、他の国の土となった。エッチェル王やディートリッヒはブルグンディの人たちの不運な最期を、心から気の毒に思って、ウォルムズに使いをやって、悪い知らせを言い送った。ブルグンディの人たちは声を上げて泣いた。やがて厳かな葬式が執り行われて、グンテル王の子が、その国を治めることになった。ブルグンディの人たちの心には、この悲しく痛ましい饗宴の思い出がいつまでも悪夢のようにこびりついていた。
クリームヒルドの見た夢
夢の中で一羽の隼を飼っていて餌を与え、愛で慈しんでいたが、ある日二羽の鷲が、彼方から舞い降りてきて、鋭い爪に隼を摑んだかと思うと、ずたずたに引き裂いてしまった。
母ウテの夢分析:夢の中の隼はゆくゆくクリームヒルドが熱い思いを書ける気高い王子で、二羽の鷲はその王子を殺す曲者に違いない
解釈
クリームヒルドの母ウテが見た夢はクリームヒルドにガンダールバ婚を想起させていた。ドイツの精神分析に見られるようにドイツ人の魂には何らかの問題を抱えているようにうかがえるが、この夢占いや呪術こそ彼らを悩ませる種なのだと考えられる。そしてジークフリードはなぜクリームヒルドを選んだのかという点が一番の問題だと思う。ジークフリードは悪竜を退治してその血潮を浴びた故に無敵になったと言うが、それは他の神話に見られる泉を守る竜ではないだろうかと思えた。(パレスチナ「聖ジョージの悪竜退治」など)そして、ジークフリードとブルンヒルドであるが、ブルンヒルドはひょっとしたらジークフリードの本当の運命の相手だったのではないかという問いがある。それを裏付ける根拠として、ブルンヒルドをジークフリードが暗闇で諫めるところと、クリームヒルドとブルンヒルドの中の悪さである。前者においては特にジークフリードに対するブルンヒルドの罪が問われているようにも思える。これにつけるようにブルンヒルドはクリームヒルドを責め立てているように思う。そして、ハーゲンがジークフリードを殺した理由もここにあるように思う。ハーゲンはジークフリードとブルンヒルドの間に何があるか知らずに、そしてグンテル王に対する忠誠のゆえにジークフリードを許せなかったのだろう。しかし、ジークフリードを殺したときに何か見えたのだろうか、彼はクリームヒルドが譲り受けた財宝を奪いはしたもののそれらは隠されてライン川の底に沈められた。これはジークフリードの財産を彼女の手から隠すためのようにも思う。その裏付けは最後の死に際にも財宝の有りかを教えることはなかったハーゲンの決意に現れている。この分け前は反省したブルンヒルドとジークフリードのためのものだと言うことではないだろうか。とにかくここにあるように夢占いというものが人の人生を狂わせていると言うのは否めない事実のようだ。それは戦前戦後において分析の対象となっているが、果たして答えは得られたのだろうか。
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グルードルン物語
脚注
ドイツ皇帝マキシミリアン一世(1495-1519)が集めた文学記録がウィンの皇室図書館に蔵されてた。数世紀後に古代文学愛好家たちに発見され、その中にこのグードルン物語があった。著者はオーストリアの無名の詩人で、十二世紀もしくは十三世紀に成立したとされる。この粉本がそれ以前にあったことは明らかな事実と書いている。物語は32の詩からなる。別名「ヘーゲリング伝説」という。脚注では北欧のエッダのヘグニの娘ヒルデが愛人ヘディンと共に家を抜け出す・・・という話に似ていると言う。あるものはニベルング物語をイーリアスと、グードルン物語をオディッセイアという。
登場人物
| 名称 | 説明 |
| ジゲバンド王(Sgeband) | アイルランドの王 |
| ハーゲン(Hagen) | ジゲバンドの王子 |
| ヒルデ姫(Hilde) | インド-の王女 |
| ガラディ伯(Garadie) | ジゲバンド王に深い恨みのある伯爵 |
| ヒルデ | ハーゲンとヒルデ姫の娘 |
| ヘッテル(Hettel) | 北ゲルマン(ヘーゲリング)の王。ヒルデと結婚する |
| ワット | ヘッテル王の家来 |
| ホラント | ヘッテル王の家来 |
| フルーテ | ヘッテル王の家来 |
| オルトウィン | ヘッテルとヒルデの子、ヒルトブルグと結婚する。 |
| グードルン | ヘッテルとヒルデの子、ヘルウィックと結婚する |
| ジーグフリード | ムーアランド(Moorland)の王、オルトルンと結婚する |
| ハルトムート(Hartmut) | ノルマンディ(Normandy)の王、ルードウィック(Ludwig)の子、ヘルウィックの妹ヘルガルトと結婚する |
| ヘルウィック(Herwig) | ジーランド(Zealand)の王、グードルンと結婚する。 |
| ゲルリンダ | ルードウィックの妻でハルトムートの母 |
| ヒルトブルグ | グードルンの腰元、オルトウィンと結婚する。 |
| オルトルン | ハルトムートの妹、ジーグフリードと結婚する。 |
| ヘルガルト | ヘルウィックの妹、ハルトムートと結婚する。 |
あらすじ
ジゲバンド王にハーゲンという息子がいた。ある日、王は煌びやかな饗宴を催した。たくさんの高貴な人が集まった。7歳になるハーゲンもその中にいた。するとたちまち空から一羽の大きな怪鳥が現れて、ハーゲンを摑んで飛び去った。
一座の人達の叫びも王の付き人の矢もむなしく怪鳥はハーゲンを摑んでとある島の絶壁の頂にある巣に帰ってきた。親鳥の帰りを待っていた子鳥の一つがハーゲンを奪い取って側の木に止まった。樹の枝は重みに堪えかねて、折れた。子鳥は驚いて王子を草の中に落とした。
ハーゲンは叢から這い出して近くの洞穴に身を潜めた。真っ暗い穴の奥に白いものが動いている。目を凝らして見ると、それは三人の乙女だった。三人は王子の側にきて素性を明かした。一人はインドの王女ヒルデ姫、一人はポルトガルの王女、もう一人はアイゼンランドの貴族の娘だった。三人とも怪鳥のために攫われてきたが、不思議と王子と同じ方法で助かったのだった。
ハーゲンは幼いながらも、尊い血を受けただけあり大胆で、すぐさま三人の女性の保護者となった。そして怪鳥の眼を盗んでは野山で木の実をひろい、父の館で見たままに弓をこしらえて鳥獣も狩り立て、八、九年が過ぎた。ある日暴風雨の後で甲冑をつけた騎士の死体が浜辺に漂いついた。王子はその甲冑に身を堅めて、怪鳥と戦い見事退治した。
今は島を逃れるばかりで、王子も乙女もかわるがわる荒磯に立ち白帆を見出そうと焦り立てた。そしてついに白い帆が見えた。王子は岩の上に立ち大声で叫んだ。風を伝ってその声が舟人の耳に入ったのか、白い帆はだんだんと磯に近づいて来た。舟人は浜辺に降り立った。長い年月に衣が破れて海藻と苔で綴り合わせられている王子と乙女の姿に、彼らは驚きと怪しみの眼をみはった。しかし彼らのいきさつは舟人たちの心を動かして暫くの間王子も乙女も船の中に伴われることになった。
しかし、王子の不運は止まなかった。王子は自分の身分を彼らに打ち明かした。すると、船の中はさざめき立った。彼らはジゲバンド王と因縁のあるガラディ伯の家来だったのだ。王子は躍り立ち、敵を摑んでは海の中に投げ飛ばした。ガラディ伯はこの勢いに驚いて、三人の乙女もろとも父王の許に送り届けてくれた。
ジゲバンド王は間もなく世を去ったので、ハーゲンは民に押されてその後を継いだ。そして長い年月を寂しい孤島に同じ木の実を食っていたイルデ姫を妃とした。二人の間にはやがて一人の美しい姫が生まれた。姫の名前は母の名を継いでヒルデと言った。ヒルデ姫は月日を重ねるごとに美しくなった。多くの貴族が遠くからハーゲン王の館を訪れて、姫に求婚した。しかし、王も妃も一人娘と別れるのがつらくて、なかなかその求めを聞き入れなかった。しかし、貴族の男たちも引かぬ意気込みで、王は断る言葉もなくなって、一つの条件のもとに姫を手放すことにした。条件は、ハーゲン王と一騎打ちの試合をして、首尾よく王を負かしたものの手に艶なる姫を渡すと言うものだった。ハーゲンは背が高く、双の腕には牡牛を手打ちにするほどの力があり、心も強かった。貴族の男たちは王の言葉を聞いてたじろぎ、命を失うのが怖くて帰って行った。その頃北ゲルマンの王にヘッテルというものがいた。ヒルデ姫の美しさと恐ろしいハーゲン王の言葉を耳にして、ヘッテル王の心は戸惑った。王は思いめぐらして欝ぎがちな日を送った。隠しても隠されない王の思いは家来の注意を引くようになった。ヘッテル王の忠実な家来にワット、ホラント、フルーテという三人がいた。王の胸に潜む切ない思いをくんで、三人は人知れずいろいろの考えをめぐらした末にやっと一つの計略を思いついた。
翌日になると三人は大きな船に貨物を積んで、商人のような扮装をして船に乗り込んだ。船の底には剣が積んである。笑いの中に刃を隠して、三人はハーゲン王の国へ向かった。目的の港に着くと、三人は船の上に貨物を並べて辺りの人たちを招いた。そして眼が覚めるように美しい品物にそっと手を触れて口々に罵り騒ぐ。噂は四方に知られ、ハーゲンの妃とヒルデ姫の耳に入った。二人は胸をそそられるような気になって、すぐさま使いをやって商人を館に招いた。三人は館からの使いを受けてしめたと思った。けれど表面は何気なく装って妃とヒルデ姫の前に導かれた。妃は三人を見てその素性を尋ねた。そして、どこから来たかと尋ねた。三人は言葉巧みに妃を欺き、三人ともヘッテル王の家来であったが、わずかの過ちのために王の不興を蒙って領内から追放され、余儀なく商売を始めて命をつないでいると答えた。そして歓心を得るためホラントは美しい声で「騎士の物語」を歌った。歌はヒルデ姫の心を捉えてしまった。それからは姫は幾度となくホラントを館に呼んで美しい歌を聞くことになった。ホラントはヒルデ姫に細々とヘッテル王の思いを明かした。その思いはヒルデ姫の心に伝わり、ついに、機を伺ってホラントの一行と共に父の館を抜け出す約束をした。三人の商人はハーゲン王を船に招待することになった。深い企みがあるとは知らず、ハーゲン王は妃とヒルデ姫と数々の供回りを連れて船の中に来た。三人は心を尽くして王を歓待した。暫くして王は帰ることになった。ホラントはヒルデ姫に向かって少し目を動かすと、乙女のさとい心はその意味を読んだ。王に続いて妃がそれに続いて船を離れた。二人は供回りに守られながらヒルデ姫の降りるのを待っている。姫は舷(ふなばた)に突っ立ちながら身を動かそうともしない。たちまち船の上に笛の音が響くと、数々の櫂が一斉に動き出して船はすすと磯を放れた。ヒルデ姫は舷に身を寄せて悲しそうに王と妃とを見ている。深い謀に乗せられたと気が付いたハーゲン王は身を震わして怒り立った。そして急いで供回りに命じて船を目掛けて投槍を投げさせた。供回りの武士どもはあらんかぎりの力を込めて投槍を飛ばしたが、船はすでに磯を離れていた。空を切って飛ぶ投槍も、やがては力が抜けてばらばらと波の上に落ち、王は唇を震わして船の上の人々を呪った。
ワール河の波はオランダの海にそそぐ。その河口にヒルデ姫を奪いに出かけた三人を待つヘッテル王がいた。やがて海の向こうから船が現れ、磯辺に着いた。船の中からは数ある武士がヒルデ姫を擁して元気よく現れた。王は、つと走り寄って無言の中にかばうように姫を抱いた。姫は頬を紅くして大きな胸に抱かれた。二人の間には眼に見えぬ熱い思いが流れている。たちまち一人の武士が船が見えると叫んだ、王も供回りも一斉に沖の方を見やると、一群の船が矢のように近づいてきている。追手の軍勢が来たと騒ぎ立てる暇もなく、みるみる船は磯近くなった。真っ先の船の舳先には厳しく装ったハーゲン王が炎を吐かんばかりの勢いで突っ立っている。矢を射るような船足さえもどかしいと思ったのか、王はたちまち白浪の中に踊り込んで、渡ってきた。百を数える兵も遅れじと一斉に海の中に飛び込んだ。やがてヘッテル王とハーゲン王との軍勢は激しい闘いを始めた。中にもハーゲン王の勇ましい働きは人の眼を驚かすばかりだった。ヘッテル王も鋭い太刀先をあしらい兼ねて数か所の傷を受けた。主を討たせては一大事とワットはつと駆け寄ってハーゲン王に斬りつけた。激しい戦いの間にヒルデ姫は狂わんばかりに気を揉んだ。生みの親と熱き思いの恋人との争いに、出来るならばおのが身のまず滅び行けとばかりに藻掻いた。遂に堪えかねて弱い身を剣戟の真ん中に踊らしてひたすらに争いを止めんことを乞うた。白い手のひらを合わせて主を祈る双の手がわなわなと震えて、涙が青い頬を流れ、さすがにハーゲン王の心も和らいだ。ましてや一騎打ちの勝負にヘッテル王のすさまじい手並みもよくわかった。わが娘の婿に恥じぬほどの男であると思うと剣を揮う腕の力がおのずと緩んでゆく。こうしてヘッテル王は剣の力で美しい乙女を得た。二人の間にはオルトウィンという男の子と、グードルンという女の子が生まれた。オルトウィンは幼い時からワットの手で育てられた。ワットはヘッテル王に従って、幼いオルトウィンを並びない猛者に守り立てようと努めている。妹のグードルンは、母なるヒルデ姫の厳しい仕込みを受けて、日に日に美しくなってゆく。美しくなるにつれて、四方の若殿がヘッテル王の館に求婚にきた。ムーアランドの王ジークフリード、ノルマンディの王ルードウィックの子ハルトムート、ジーランドの王ヘルウィックなどがいた。その中でもヘルウィックはヘッテル王の心をひいたのか、一年後にはグードルン姫の夫となることに定まった。彼はヘッテル王の館に一年の月日滞在した。グードルン姫がヘルウィックの手に落ちたと聞いて、ジーグフリードは胸を叩いて怒った。こらえきれずヘルウィックの留守に国を襲い荒らしまわった。ヘルウィックは姫を残して自分の国に急いだ。ヘッテル王も数多の兵を率いて続いた。
ヘッテル王の館にはグードルンと母とが寂しく日々を過ごしていた。思い人と父に別れた姫は遣る瀬無い苦しみを覚え、眠れない夜が幾夜か続いた。ある日、ハルトムートの兵がきて留守居を追い散らして館に入ってきた。姫はハルトムートが自分をさらう気で決めた覚悟を見て血の気が覚めた。母のヒルデも慌て騒ぐばかりであった。やがて甲冑に固めたハルトムートが現れ、姫をさらっていった。母は息もつかずに突っ立っているばかりだった。ハルトムートは姫を抱えたまま、部屋の外に駆けだし、兵どもを率いて自分の国ノルマンディに帰った。
この悲しい知らせがヘッテル王とヘルウィックの許に届くと、二人はジーグフリードと戦うことをやめた。ジーグフリードは憂いに沈む二人を苦しめるのは本意ない技と思い、自分の兵を率いて二人を助けることにした。三人の兵を併せて
ノルマンディに帰って行くハルトムートを襲った。戦は日が暮れるまで続いた。ヘッテイル王は戦場で死んだ。ハルトムートは、その夜の内に兵どもを連れてノルマンディに帰ってしまった。ヘルウィックとジーグフリードは、ヘッテル王の亡骸を守ってその館にやってきた。ヒルデは最愛の夫を失って泣き悲しんだ。
グードルン姫は、男ばかりの兵の中、女一人でノルマンディに向かう船の中に連れられたが、どうしてもハルトムートの言葉に従おうとしなかった。ハルトムートは様々に姫をいたわって自分心に従わせようとする。しかし姫はいよいよ心を強くして、石のようにかたくなにふるまった。ハルトムートの父ルードウィックは心驕れる姫の振る舞いを疎い姫を海に投げ込んだ。ハルトムートは海へ飛び込み姫を助けると、父に向って自分の妻となる身の上の姫には指一本でも指すものがあれば許しはしないと厳しく言った。その後は皆姫に恭しく接するようになった。国に帰ると、ハルトムートの母なるゲルリンダは笑みを含んで姫を歓待した。けれどもグードルン姫が息子の思いを酌もうともせず蔑んだ目で見ているのを憎んだ。そして次第に姫を苦しめようと思うようになった。たまたまハルトムートは隣国と争いを構えて戦いに出かけて行った。行く前に自分の母に姫の世話を頼んで館を出た。ゲルリンダは我が子の姿が見えぬようになると、姫の姿を卑しい召使に変えて、昼夜ひどい目に合わせた。堪えがたいまでに苦しい三年が過ぎた。ハルトムートは戦から帰ってきた。けれど姫は彼の思いを酌もうとはしなかった。さすがのハルトムートも万策尽きて、暫く姫を母の手に預けることにした。しかし我が子を見下している姫を憎んでいるゲルリンダは思いのままに姫を苦しめた。姫は日ごとの着物を抱えて磯辺に行きそれを洗わねばならなかった。寂しい姫の心を慰めるのは館から盗まれてきた一人の腰元だけだった。冬になり北国であるノルマンディでは雪が降り寒く、薄い衣を着た姫と腰元は裸足のままで凍り付いた雪道を毎日通って荒磯に出かけなければならなかった。二人は波の飛沫を浴びながら抱き合い泣いていた。本来ならば暖かい館の中で寒さも知らずに興ある話に聞きほれていられるはずなのに、乞食のような姿で寒空の水に衣を洗わねばならないとは、情けないと思った。姫は腰元と海の上をじっと眺めていた。するとどこからともなく一匹の白鳥がふくよかな胸を張って磯辺に泳いできた。白鳥は力ある声でひたすら嘆くのは体を傷めるだけだと言った。姫は驚いたが、自分の名前を知るこの鳥は神の使いに違いないと、次にどのような言葉を告げるのだろうと二人は熱心に耳を傾けた。白鳥は言葉を続けて、姫が希望に生きなければならないこと、良い知らせを伝えるために神が自分を送ったこと、兄のオルトウィンとヘルウィックは間もなくワットと共にこの国んに来ることを告げ、それまでの憂目だから頑張るように励ました。言葉が消えぬうちに白鳥は波間に隠れた。その幻のような出来事は二人を喜ばせた。もう間もなくの辛抱でつらい生活が終わると思うと、二人の胸の憂いは麗らかな日の光を浴びた春の水のように、心地よく解けていく。二人は踊り立つ喜びを胸に収めて何気ない風情で館に帰った。次の日はひとしおの寒さであった。けれども情けを知らないゲルリンダは当たり前のように姫に洗濯を命じた。姫は腰元を連れて出かけた。ゲルリンダは日頃と異なり晴れ晴れしい姫の顔を不審に思った。二人が海に出ると、小さい船が波をきって磯辺に近づいて来た。船の中には減るウィックとオルトウィンとが突っ立っていた。二人は長い間グードルン姫を見なかったばかりか、姫の装いが変わり果てていたため、姫を見分けることが出来なかった。二人は乙女に向かって、グードルン姫という乙女がいるはずだが知らないか、と尋ねた。グードルン姫は知っていると答え、二人はどこにいるか尋ねた。グードルン姫は二人の情愛を試そうとして、二人が探している姫は亡くなったと言った。するとヘルウィックとオルトウィンは非常に歎き悲しんだ。姫はこれを見ていることが出来なかった。姫はすぐに自分の名を明かして今までの成り行きを話した。二人は喜んで、互いに抱き合って、涙に暮れた。腰元もそれを見て熱い涙をこぼした。再開の嬉しさが鎮まるにつれて、二人の若者の胸には姫を救う手立てだった。ヘルウィックは、このまま姫を奪って自分たちの陣屋に帰って行こうと言ったが、オルトウィンは敵の目を忍んで姫を連れて行くとことが卑怯な技と思えて仕方がなかった。彼はきっぱりした口調で、潔く剣の力で連れて帰ろうと言った。減るウィックもこれに従って、同意した。二人の相談を聞いて姫も腰元も急に元気が出てきた。姫は手に持っていた衣類を空に投げた。そして二人の若者と別れて館に帰るとゲルリンダは手ぶらで帰った姫にそのわけを鋭く尋ねた。姫は蔑んだような目つきでゲルリンダを見下ろしながら海に捨てたと言った。そして王者の妻に相応しくない仕事はしたくないと言った。ゲルリンダは日頃に変わる姫の気勢に驚いた。けれども心の中では嬉しくも思った。王者の妻と言うからにはさすがの姫も我が子の妻となることを承知したのだと思い違えたのであった。それでゲルリンダは、我が子ハルトムートの許に駆け付けて、姫の心を話した。ハルトムートはよろこび勇んで姫の側に急いできた。そして輝く目に姫の姿を眺めながら、双の手に姫を抱こうとした。姫は身を引いて厳かな声で浄い乙女に無暗に手をだしてはならない、と咎めた。ハルトムートは驚いてその場を後にした。しかし母の言葉を信じているので、家来どもに言いつけ早速結婚の用意をすることにした。姫は婢の服を脱いで美しい着物に身を飾った。ハルトムートの妻になるためではなく、自分の国に帰るためにであった。姫は明け方に大きな物音で目が覚めた。姫は急いで腰元を起こして、窓を開けた。すると人声が遠くに聞こえた。兄の兵に違いないと思いグードルンは嬉しさに眼を凝らすと、白い広野に大勢の人影が見えた。それはみるみる館を指して迫ってくる。やがて角笛の音が眠ったように大気を震わした途端、太陽が堂々と東の空に昇って、野原が眩しく煌めいた。白銀の兜や黒鉄の楯に日が照り返されたのだった。やがて敵味方の間に激しい戦いが始まった。戦いはハルトムートの父ルードウィックがヘルウィックの手に倒れ勝敗が付いた。ハルトムートは火急の場合にも姫の身の上を忘れず、戦の隙を伺っては姫の館に駆けてきた。そこにはゲルリンダが、姫を他の者に渡すまいという心から、無惨にも姫の首に永い紐を巻き付けて、今や絞め殺そうとしている所であった。ハルトムートはたちまち踊り込んで母の手を押しのけた。そして優しく姫をいたわって、腰元と一緒に一間に立ち退かせた。今は心に残ることもないとハルトムートは短刀を抜いて静かに自害しようとした。妹のオルトルンはあわただしく駆けよって、その手に縋りついた。そしてひたすらに兄の自殺を思い止まらせようとした。グードルン姫は物陰からその場の様子を見て、ひどく心を痛めた。たとえその望みには応じなかったにせよハルトムートの篤い思いと武士の情けとは心にしみていた。ましてはその妹は昼夜蔭に回って自分をかばってくれた。どうにかしてこの兄弟を助けたいと、姫はしきりに気を揉んでいた。大きな足音とともに兄のオルトウィンが剣を下げてかけてきた。グードルン姫は兄の体に縋りつくとハルトムートの命を助けてほしいと頼んだ。これを聞くとオルトウィンの心もくじけてそれを承知した。そしてハルトムートの部屋に飛び込んだ。そして短刀を手から奪い取ってハルトムート兄弟を捕まえた。こうして城は落ちた。
こうして戦いがすむと、幾組かの結婚が執り行われた。ヘルウィックは、グードルンと、ハルトムートはヘルウィックの妹ヘルガルトを、ジーグフリードはハルトムートの妹オルトルンを、それからオルトウィンは自分の妹と敵国で苦しみを共にした腰元ヒルトブルグを娶った。
考察
初めにハーゲンが助けた女が三人であり、ヘッテルの家来が三人いる。ヘッテルは家来三人によってヒルデと出会った。そして、ヘッテルの息子オルトウィンと娘グードルンによって計4家族が結婚をしている。グードルンの女らしさが多くの男を虜にして、ヘルウィックと結婚した。このことが最終的に功を成している。そこに至るまでに三人の王女たる女を助けたこと、そして三人の優秀な家来による王女への口説き、誘惑があったことは、女のみによって生まれた男が他の結ばれるべき男女の女を落としてしまうというジレンマを含んでいるように思う。また、それを引き起こしたのは太平洋地域南に見られる洪水を逃れた二人の男女の兄弟に関係していると思われる。このように、女が男を産んだと言うのはこの神話に繋がりがあり、ドイツではそれを問題にした物語が展開していると思われる。オルトウィンとグードルンの関係もここにある洪水神話の兄弟に依拠しているという感じが否めない。(ポリネシア10、オーストラリア8,9、メキシコ2、北アメリカ8、ペルー8)
また、ヘルウィックたちの軍勢が来た時にグードルンは、太陽が昇り兜や楯に反射した光を目撃しているが、これが本来の記述として残っているならば、これはグードルンが自分の人生を離れてしまっていることから、元のところに戻ることを意味していると思われる。
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幻の女
登場人物
| 人物名 | 説明 |
| オルトニット(Ortnit) | ロムバルディ(Lombardy)の王 |
| エリアス | オルトニットの伯父 |
| シッドラート(リーブガルト) | シリア王の娘、オルトニットと結婚する |
| アルベリッヒ | 小人の王 |
あらすじ
ロムバルディの王オルトニットは勇力を振ってあたりの敵を自分の前に跪かせていた。物語の言い伝えでは王は十二人の力を兼ねていたという。しかし王は寂しい月日を館の中に送っていた。王の妃となるような女が見いだされなかったからである。王に仕えている人々は、王の寂しい面持ちを見て、心を痛めた。とうとう人々は評議を開いて胸に浮かぶ美しい乙女の名を思い思いに言い出してみたが、一人として王の心にかなうような女がなかった。王は華やかな椅子にもたれたまま、眉一つ動かさなかった。しかし、王の叔父エリアスが、口を極めてシリア王の娘シッドラートの美しさを褒めたたえ、細かにその顔形を話し出すと、王の眼が怪しく輝き始めた。王の胸には、シッドラートの名が深く刻みつけられた。しかし、その場はそれで済んだ。
ある日、王はエリアスと一緒に夕暮れの磯辺を歩いていた。緑を流した水を滑って、冷たい風が王の顔を吹く。王の耳には、どこからとなくシッドラートという声が幽かに聞こえるようであった。と、たちまち水の面からせりだしたように幻の城が現れた。淡い霧に包まれているように櫓も塔も柔らかな灰色に霞んでいる。オルトニット王は驚き怪しんで、眼を群青色の水から放して、幻の城を次第にさかさまに見上げた。高い塔を辿ってその頂に来た時、王の眼はたちまち留った。塔の頂には、長い裳裾に足を隠して、美しい乙女がすっと立っていた。あたりのもののすべてが淡く朧であるのに乙女の姿ばかりはくっきりと鮮やかに見えている。女は動かなかった。永劫に渡って立ち尽くすかのように動かなかった。その面貌がエリアスに聞いたシッドラート姫に似ているなと思ったとき、幻の城は風に消えた灯のように、ふっと見えなくなった。王は夢から覚めたような眼で、エリアスを見た。エリアスはにこりと笑って、あの城こそシリア王の城で、塔の上の乙女こそシッドラート姫の面影の生き写したものだ。と言った。それからオルトニット王は、なんとなく気が重くなった。砂漠に歩み疲れた旅人が、夏の空に緑の園の幻影を見たように、オルトニット王は、昼となく夜となくまだ見たこともないシッドラートを思った。懐かしい思いが募りに募った時、王は一人でシリア王の館を訪れようと決心をした。エリアスはしきりに王を引き留め、シリア王は恐ろしい男で、自分の娘を貰いに来たものがいたらすぐその首を刎ねて、城の飾りにするだろう、と言って、ひたすら王の企てを思いとどまらせようとした。しかし王は聞き入れなかった。そして家来に言いつけてしきりに渡海の用意をさせた。
王の思いを翻させることが出来ぬと思った王の母は、仕方がないので、黄金の指輪を王の指にはめてやった。そして、馬に跨ってローマの方に行って、小河の流れ下っている丘に一本の菩提樹が立っているからその菩提樹の下で不思議なことを見たら帰っておいで、と教えた。王はゆったりと馬を歩ませた。そして鞍の上で揺れながら、様々の幻影にうっとりとなっていると、やがて深緑の丘が鮮やかな日の光を照り返して、王の眼の前に現れた。かすかな響きを立てるのは、母に聞いた小河の流れであろう。大きな菩提樹もすぐ目に入った。と王は驚いたような様子でひらりと鞍を滑って地面に降りた。菩提樹の下蔭に、一人の子供がすやすやと眠っていたからである。子供は黄金と珠玉とを鏤めた彩衣に包まれながら、あたりに乱れ咲いた花の一つ一つに、暖かい息を吹きかけて眠っていた。王はそっと歩み寄って、双の腕に子供を抱き上げようとすると、子供はぱっと目を開いて、小さい拳で王を打った。王は目が眩んでよろよろとなった。王は怒って、子供を取りひしごうとしたが、子供は、十二人の力をかねたと言われる王の手に余るほどに手ごわかった。永い間揉み合った末、やっとのことで小さい敵を羽交い絞めに絞めつけることができた。子供は苦しそうな声で、不思議な鎧と剣を与えるから許しておくれと言った。王は手を緩めた。緩めた王の手から滑り出た子供は、王の指輪を抜き取ったかと思うと、たちまちその姿が見えなくなった。しかし子供の声は王の耳元で響いている。おかしな口調で様々にあざ笑う声をたよりに、王は両手を開いてやたらに空を摑んだ。そのたびに子供は手を叩いてどっと笑う。暫くすると、指輪は王の手に還った。そして王は再び子供の姿が見えるようになった。子どもは、物陰から一領の鎧と一口の剣を取り出して、王に与えた。そして厳かな声で、この鎧は竜の血潮で鍛えたものでいかに鋭い剣にも傷つかない、そしてこと剣には岩さえ切り裂く力が籠っている、私はこびとの王アルベリッヒで、オルトニットの父、そして王が父と思っているのは妻を離縁して私にくれたものだ。シリア王の娘を貰い受けたいという望みをかなえよう、と言った。オルトニットは有難いと思い頭を下げた。やがて頭を上げると、アルベリッヒの姿は消え失せていた。彼は鎧と剣とをもって館に帰った。そして事の次第を細かに母に物語った。母はただただ笑いながらうなずいていた。
暖かい風が花の香を吹く五月、一隻の船がメッシナを出て行った。船の中には若い騎士が、多くの供回りを連れて乗り込んでいる。オルトニットはシリア王の娘を求め船を出した。やがて船はズンデルスの港に着いた。オルトニットは、数百の大きな船が檣を空に立て並べているのを見て、なんとなく気が怯えて、心ひそかに父のアルベリッヒを伴わなかったことを悔いた。するとたちまち空に声がして、アルベリッヒが自分はここにいるから安心しろと言った。驚いて空を仰ぐと、風になる檣の上に、アルベリッヒの小さい姿が見えた。やがて彼は檣を滑って、オルトニットの側に来た。二人は様々の話をしているが、アルベリッヒの姿は供回りの眼に見えないので皆訝しそうに主人を見詰めている。暫くすると、アルベリッヒは、自分がシリア王を説き伏せて、娘を与えると言って立ち去った。
アルベリッヒはやがて、ムンタブルと言われるシリア王の館に忍び込んだ。黄金に光る椅子にもたれた王の耳にシッドラートをロムバルディ王オルトニットに与えよという声が聞こえた。王は驚いてあたりを見回した。しかし頭の上に何も見えなかった。足元には数々の家来が、座っている。王は自分の耳を疑うように、暫く心を澄ませていた。すると、今度は右の耳元で、与えるのか、と詰る声がした。王は物の怪の技ではないかと思って、冠を右に振って睨んだ。すると妖しい声はさらに左の耳に迫って、与えねば災いがあると脅した。王は椅子から離れて、物の怪がこの間に忍び込んでいる。速やかに追い払え、と叫んだ。兵は驚いたが王の言いつけを拒みかねて、剣を抜いて縦横に空を斬って回った。すると空に笑い声がして、その後はひっそりとなった。兵は気が抜けたように鞘に剣を修めた。
アルベリッヒはシリア王の館を去って、オルトニットの許に来た。そして剣の力で姫を奪う他に手段はないと言った。それでオルトニットは兵を率いてズンデルスの街を襲って占領した。そして堂々とシリア王の館を指して進んだ。目先にはアルベリッヒが旗を揚げて馬を走らせている。アルベリッヒの姿はほかの者には見えなかった。不思議な指輪をはめているオルチニットにだけ見えていた。兵どもは誰も乗っていない馬の背に、大きな旗が翻るのを見て、いっせいに訝しそうに眼を見張った。悠々と馬を打たせていたオルトニットは鞍の上から朗らかな声で、これは我らを導く神の御手だ、といった。これを聞いて、兵どもの胸には燃えるような勇気が湧く。旗は馬の背から三尺ばかりのところで風を受けて、霊があるように、空中で唸った。馬は旗を背にして、四つの蹄で石を蹴って駆け続けた。
やがて兵どもは、シリア王の城を囲んで、鬨の声を上げた。高い櫓から空を裂いて矢と石が飛んできた。オルトニットは、矢と石を物ともせず、長い剣を閃かしながら駆け回る。高い塔から寄せ手の勢いを見下ろしていたシッドラートは、感に堪えぬような様子で、若い騎士の働きを眺めていた。シリア王も、警固の武士に囲まれて、高い窓から寄せ手の様子をうかがっている。驕り高ぶった心には、敵の兵が血を這う蟻のように見えるのか、王は傲然として窓にもたれていると、たちまちあっと叫んで髭を撫でた。高い額に幾筋かの皺を寄せて、髭を撫でた。兵どもは驚いて顔を仰いだ。王は顔をしかめて、何者かが髭を引いたようだ、と言った。言葉が終わらぬうちに王は髭を強くひかれた。王は再び叫んで、子供のように双の手で空を摑んだ。途端に耳元で、姫をくれるか、という声がした。アルベリッヒであった。王は嫌だと答えた。すると空中でからからと笑う声がして、またぐっと王の髭を引く。幾筋かの髭が無惨に引き抜かれて、顎に血がにじんだ。アルベリッヒは、怒り狂う王者を残して、シッドラードの側に行った。シッドラートは、敵の凄まじい勢いに怖気て、床の上に跪いて、父の安全をアポロの神と、マホメットとに祈っていると、たちまち小さい声が耳元に聞こえた。声は、美しき姫よ、キリスト教徒になれ、そして館を囲むオルトニットの妻となることを承知せよ、オルトニットこそは姫を得るために血を流しているのだ、といった。姫はあまりの不思議に言葉もなく跪いたまま身を動かさずにいると、檀上に恭しく置かれたアポロとマホメットの像が、宙を飛んで窓から放り出された。途端に再び小さい声がして、異教徒の偶像になんの力があるだろう。キリスト教徒になれ、オルトニットの妻になれ、いやとあれば、姫の父ば命を失うだろう、と言った。姫は空なる神の厳しい掟を聞くような気がして、覚えず頭を垂れた。姫は夢の中を歩むような足つきで館を出た。目に見えぬアルベリッヒに誘われているのだ。館の外には、オルトニットが兵を率いて、必死に戦っていた。彼は手に剣を振り回しながら、心の中では美しい女の現れるのを待っていた。アルベリッヒが姫を誘い出してくると言ったからである。やがて姫の美しい姿が、現れた。するとオルトニットは走り寄って、姫を抱き上げた。そして自分の馬の背に乗せると、鐙を挙げて丁度その太陽を蹴った。馬は大地に鋭い響きを刻んで一散に駆けだした。オルトニットは、馬の上から高い声で、者ども続け、と叫んだ。姫が手に落ちた上は、戦は無益である。姫を失ったシリア王は、鎧の胸板を叩いて怒り立った。名も知らない小童に姫を奪われてどうする、早く追っかけて捕えろ、と兵に言い、これを聞くと、数々の兵はすぐに馬を躍らして追いかけた。手綱を持った手に汗がにじんで、馬の鼻息が激しくなったとき、彼らはオルトニットに追いついた。たちまち両軍の間に物凄い斬り合いが始まったが、やがて勝はオルトニットの手に帰して、追手の勢いは、馬の鬣を摑んで逃げ帰った。一行がズンデルスの港に着いたとき、アルベリッヒとエリアスとは、姫に洗礼を施して、名をリーブガルトと改めさせることにした。船は故国に着いた。新しくキリスト教徒となった姫は、ある日オルトニットに向かって恥ずかしそうに、自分を導いた神の名は?と尋ねた。オルトニットは笑いながら、神ではない、こびとの王アルベリッヒだ。と答えた。姫は小人の王と聞くと、急に物好きな気が起こって、どうかその方の姿を見させてくださいと言った。オルトニットは、愛しい妻の言葉を避けかねて、小人の王アルベリッヒに頼んだ。小人の王は人間に自分の姿を見せることを嫌って、なかなか聞き従わなかったが、とうとうほかならぬ我が子の切なる願いを拒みかねて、たちまち姿を現した。燦として眼を射る冠を戴いた気高い小さいアルベリッヒの姿を見たとき、人々は思わず目を見張って、口々に美しいとつぶやいた。アルベリッヒはオルトニットにさまざまな財宝を与え、新しい夫婦を祝福したあとで、闇に消える人魂のように忽然と姿を隠した。リーブガルトは、夫オルトニットと一緒に快く楽しい月日を送っていた。しあし遠く離れた故郷のことや父のことを思い出すと、さすがに気が重くなった。父上はきっと私のことを怒っていらっしゃるだろう、父に背いて遠い国に走った自分は親不孝者に違いないと思ってときどきふさぎ込むことがあった。そのうちに父からの使いが来た。リーブガルトは非常に喜んで、すぐ使いの者に会った。使いの者は、父上の怒りも次第に和らいで、来る春には必ずオルトニット殿をお尋ねになるといっていた、と話した。これを聞くと、リーブガルトは本当に世界が明るくなったような気がした。使いの者は、シリア王からの贈り物をオルトニットに捧げた。その中に二つの大きな卵があった。館に来合せていた巨人どもがそれを見つけて、めずらしい、ちょうどいい場所さえあれば、卵の中から魔法蛙をかえらせて見せるのだが、とつぶやいた。リーブガルトはその言葉を聞きつけて、訊ね返した。巨人どもが、額に磁石を持った魔法蛙だと、言うと、リーブガルトは物珍しさに卵を孵らせてもらいたいと頼んだ。巨人どもは承知して、卵をもってとある谷間に潜んだ。時がたって卵からかえったのは蛙ではなくて悪竜だった。悪竜は驚くような速さで大きくなった。その地の領主は、肝をつぶして、オルトニットの館に使いを走らせて、悪竜は日ごとに物凄いほど大きくなっていくら犠牲があっても足りないと知らせた。巨人たちも、しまいにはあきれ返ってどこともなく逃げ去ってしまった。オルトニットは、悪竜の噂を聞いて、ひどく気を揉んだ。このまま捨て置いては、人々の嘆きを増すばかりだ、人々のために命を捧げるのがまことの王者だ、どうしても悪竜と戦わなければならない、と思いオルトニットは父アルベリッヒから貰った鎧に身を固め、同じく父から授かった剣を腰につるした。それを見たリーブガルトは、身も世もない気持になった。彼女はオルトニットの足元に身を投げて、自分の愚かな物好みから、人々の苦しみの種子をまいたばかりか、御身の命まで危なくしてしまった、と詫びた。オルトニットは優しい言葉でリーブガルトを慰めながら、静かに館を出かけようとした。リーブガルトは夫の体に縋りつくようにして、胸騒ぎがする、これが永いお別れではないか、と言った。オルットニットは笑い出して、心の迷いだ。と言ってのけたが自分の胸にも、同じような思いが潜んでいた。それを押し隠すようにオルトニットは女の頬から涙を拭いて、心の迷いだ、気を静めて、帰りを待ってくれ、しかし万が一命を落とすことがあったなら、他に男と夫婦の契りを結ぶのだ、ただ一言、自分の指輪を手に入れて、悪竜を退治して、仇を討ってくれた男を夫としてくれ、と言った。リーブガルトは黙って涙を呑んでいた。オルトニットはやがて館を出た。後に続くのは、一匹の犬だけだ。山に入ると、父のアルベリッヒに逢った。アルベリッヒは、我が子の姿を見ると、すぐに、悪竜退治はやめた方がいい、悪竜にはたくさんの子供が生まれている、戦ったら必ず命をなくす、と言った。しかしオルトニットは、その言葉に心を動かさなかった。彼は、死ぬのは覚悟のうえで、人々のためなら命を捨てなくてはならない、と答えた。アルベリッヒはこれを聞くと、我が子の雄々しい心がけに感じて、止めようとはしなかった。そして、それではうまくやるように、と言い捨てて姿を隠した。
オルトニットは、岩や踏み木の根を跨いで、あちらこちらと悪竜どもを探し回ったが、なかなか見つからなかった。そのうち我慢が出来ないほど眠くなって来て、とうとう大地に突っ伏してしまった。それを見ると、今まで姿を隠していた悪竜どもが、オルトニットの方に這い寄ってきた。犬は驚いて主人の周りを矢のように駆けながら、喉も避けるように吼えたてた。しかし悪竜どもに呪われたオルトニットは、どうしても目を覚ますことが出来なかった。悪竜どもはオルトニットの側に近寄った。そして爪を開いたと思うと、いきなりオルトニットを摑み上げて、岩角に投げつけた。オルトニットは骨も肉も微塵に叩き潰されてしまった。リーブガルトはひどく気を揉みながら、館の窓にもたれていた。しかしいつまでたっても夫の姿は見えなかった。やがて冷たく日が落ちて、月がほのかに登ってきた。と思うと、窓のしたでけたたましい犬の声がした。リーブガルトは階段を降って庭に出た。犬はリーブガルトを見ると、低い細い声で悲しそうに鳴き立てた。彼女は夫があえなく命を落としたことを悟った。オルトニットには子がなかったので、数々の貴族たちが、我先にと、リーブガルトに結婚を申し込んだ。悲しさのどん底に沈んでいるリーブガルトは、うるさそうに貴族たちの申し込みを刎ねつけた。と、貴族たちは怒りだして、生意気な女だ、寂しい身になったのを可哀想と思うばかりに優しい言葉をかけてやれば、いい気になって、私たちを馬鹿にする、そのつもりならひどい目に遭わせてやる、とリーブガルトの館を奪い、財宝を奪って、見苦しい一間に押し込んだ。付き添う者は、腰元だけであった。リーブガルトは、暗く冷たいその一間の中で、日ごと機を織った。悲しい気持ちでしきりに筬を動かしながら、新しい夫を迎えようとはさらさら思わないが、凛々しい騎士がこの館を訪れて、亡き夫のために憎い悪竜を退治してくれたら、いかばかりか嬉しいだろう、と考え続けた。凛々しい騎士は、果たしてリーブガルトを訪れるだろうか。訪れたうえで、悪竜を退治してくれるだろうか。それを知るためには、次に来るウォルディートリッヒの伝説を読むべきである。
考察
小人の王であるアルベリッヒは何者だろうか。ここでは童子元型と一致する何かがあるというべきだろうか。ある意味なんでもできると言う意味ではミャハやモンダミンを思い浮かべる雰囲気がある。黄金の指輪と運命の異性とが関係あるのだとしたら、オルトニットはその相手が遠すぎて、幻を見たということだろうか。それは母の思いを越えると言う意味で、それが黄金の指輪を持つ資格だったのだろうか。そうすると、キリストは生まれる前からその指輪をもっていたことになるが、それがために殺されたと言うならば、この指輪が必ずとも悪竜を産みだすものなのかもしれない。そして、シリアの姫は好奇心に任せて夫を滅ぼしてしまう。これもシッドラートは運命的な異性ではなく、すなわちガンダールバ婚としてオルトニットと結ばれた所以なのだろうか。男の愛というものも運命でなくては、すなわち好奇心が関の山とでもいうのだろうか。これはドイツという文化ゆえのことかもしれないが、シッドラートがアルベリッヒの姿を見たいと望んで、それを願ったオルトニットと言うのがそれかもしれない。本来ならば、オルトニットはアルベリッヒの姿を他の人に見せるべきではなかったのではないだろうか。これは、時が来るまでは秘密を隠しておく必要があるという意味合いでもあるかもしれない。もし、アルベリッヒの姿を見なければ、悪竜は生まれなかったのではないかという問いは後の祭によくあることである。
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脱走騎士
登場人物
| 人物名 | ドイツ語 | 説明 |
| アンジウス帝 | Anzius | コンスタンチノープルの王 |
| フーグディートリッヒ | Hugdietrich | アンジウス帝の子息 |
| ベルヒテル | Berchther | アンジウス帝の家臣。フーグディートリッヒを育てる |
| ワルグンド王 | Walgund | テッサロニカの王、ヒルドブルグの父 |
| ヒルドブルグ | Hildburg | フーグディートリッヒの妻、ウォルフディートリッヒの母。 |
| ウォルフディートリッヒ | Wolfdietrich | フーグディートリッヒとヒルドブルグの息子。狼に育てられる |
| サベネ | Sabene | ヒルドブルグとウォルフディートリッヒを伴ってコンスタンチノープルへ護衛する |
| ボーゲン | Bogen | |
| ワックスムート | Waxmuth | |
| ジゲミンネ | Sigeminne | ウォルフディートリッヒに樹の根を差し出す、魔女。結婚の誓いと共に乙女となる。トロイの女王。 |
| ベリガン | Belligan | 異教徒の王。キリスト教者を忌避(きひ)していたため、ウォルフディートリッヒに戦いを挑まれる。 |
あらすじ
アンジウス帝が病に臥して、ベルヒテルに息子のフーグディートリッヒを授けた。ベルヒテルは忠誠のままにフーグディートリッヒを育て、青年となるころに、その妃となるべき乙女をひそかに探した。フーグディートリッヒが一番心を惹かれたのはテッサロニカの領主ワルグンドの娘ヒルドブルグ姫だった。しかし姫の父は諸方からの結婚の申し出を拒んで、姫を高い塔の中に閉じ込めていた。そして女でなくては姫に近づくことはできなかった。フーグディートリッヒは姫のことを人伝にのみ聞いていた。しかし若かったので、見たこともない姫の面影に血を沸かしていた。彼は様々に心を悩ませた末に女に姿を変えて姫の許を訪れようと思いを定めた。彼は髪の毛を伸ばし、女の技を学んだ。それが済むと彼は女の衣を纏って、テッサロニカにワルグンド王を訪れた。そして、家来に館を追われたと言い、暫く匿ってもらえるようにと申し出た。王は快く申し出を受け容れ、フーグディートリッヒは縫箔を取り出して王に捧げた。王はその縫箔の美しさに見入って、姫にその技を教えて欲しいと言った。こうして、フーグディートリッヒはヒルドブルグ姫に近づくことができた。姫は間もなく縫箔師が女ではないことを悟って驚き戸惑った。しかしフーグディートリッヒの思いを聞いたとき、姫は無言のうちに夫婦の誓いを立てた。そして二人は塔の中で楽しい月日をおくった。意中の人の胸を知りえたフーグディートリッヒは、やがて姫の許を辞して、ひそかにおのが国に変えることにした。姫には間もなく父を訪れて正式に姫をもらい受けるから、それまで待っていてくれと言い残した。
国に帰ったフーグディートリッヒは、間もなく戦いに出かけなければならなかった。姫は冷たい塔の中に寂しい日々を送ったが、フーグディートリッヒは訪れなかった。姫の身は次第に重くなり、男の子を産んだ。乳母は用事を人目に付かないように努めたが、ある日、姫の母が姿を現し、乳母は慌てて子供を抱えて、後ろの戸から塔を降りて、濠の中の叢に子供を置いた。そして何気ない様子で部屋に戻った。乳母は姫の母が早く去ってくれるように願ったが、姫の母は翌朝まで帰らなかった。乳母は姫の母が帰ると濠のほとりに駆けだしたが、子供の姿は見当たらなかった。姫には自分の親戚に預けたことにして、本当のことは告げなかった。
戦が済みフーグディートリッヒはベルヒテルをテッサロニカにやって、ワルグンド王を訪ねた。そしてフーグディートリッヒにヒルトブルグを妃としてもらい受けたいと言った。ワルグンド王は早速の返答を与えず、返答はゆっくりと考えたあとにすると言い、次の日に山狩りにベルヒテルを誘った。二人は姫を閉じ込めた塔の側に来た。すると叢の影に物音があり、不審に思って覗き込むと、一人の幼児が狼の子をもてあそんでいた。二人はあまりの不思議にたわけた者のように見つめていると、親狼が現れてきた。狼は幼児に躍りかかろうとした。途端にベルヒテルは手槍を投げ、狼はうなじを貫かれて横になった。ワルグンド王は、すかさず飛び出して、大きな腕に幼児を抱き上げた。幼児は恐ろしいもののあることを知らない様子で、王の顔をしげしげと見た。王はベルヒテルを振り返って、美しくて恐ろしさを知らない孫を産んでくれる男があれば娘を渡す、と言った。ベルヒテルも幼児の罪知らぬ顔に眺め入っていた。王は言葉を続けて、連れ帰って自分の娘の手で育て上げさせることにすると言い、ベルヒテルの所存を訪ねた。ベルヒテルもそれがよろしいと答えた。塔の中に姫を訪れたワルグンド王は、幼児を渡して姫の手で立派に育てるようにと告げた。幼児を見た姫はそれが自分の子供だと気づき涙ぐんだ。王はその様子を見咎めてどうしたのかと尋ねたが、姫は何でもないと答えた。しかし姫は堪り兼ねて、父にフーグディートリッヒとの仲を明かし、幼児の素性を明かした。父王は厳かな顔に笑みを浮かべて、フーグディートリッヒを婿にすることを承諾した。狼の顎から危ない命を免れたと言うので、幼児はウォルフディートリッヒと名付けられた。幼児と若い母はサベネという武士に伴われて、コンスタンチノープルの夫の館に着いた。フーグディートリッヒ帝は、新しい妻と愛らしい幼児を迎えて、楽しい月日を送った。そして5,6年は平和に過ぎた。
5,6年が過ぎたとき、戦が起こった。フーグディートリッヒ帝は、軍勢を率いて館を出かける時、妃と息子をサベネに任せった。しかし、サベネは奸徒であった。帝の姿が館に見えなくなると、彼は本性を現して、口を極めて姫を罵り、幼児は名もない男の種であると言いふらした。領内の人々はいつしかサベネの言葉を信じて、幼児を皇子といただくことを厭うようになった。戦から帰った帝も、この噂を聞いて眉をひそめた。自分が知らない間に生まれたばかりか、人も通わぬ叢に見いだされた幼児を思うと、疑いの念が帝の胸に燃え上がった。帝はウォルフディートリッヒをメランのベルヒテルの館に遠ざけた。若き妻は声を飲んで泣いた。しかし、日目はサベネの卑しいふるまいを帝に明かすこともできなかった。物憂き幾年月が過ぎていく中、彼女は、二人の男児を産んだ。兄の名をボーゲン、弟はワックスムートという。
サベネは永き年月の間折に触れては、姫のことウォルフディートリッヒのことを悪しざまに帝に話して帝の心をかき乱そうと努めた。辛抱強い女の心にも、もう我慢が出来ないと思ったのか、ヒルドブルグは一夜夫の側に身を寄せて、サベネのよこしまな振舞いを詳しく物語った。帝はサベネを追放した。しかし、帝は間もなく重い病に患った。最後が近づいたと思った時、帝は主立つ人々を枕元に召し寄せて、コンスタンチノープルに帝の位を履む(ふむ)のはウォルフディートリッヒ、南の方の領地に王となるのはボーゲンとワックスムートだと言い残して、息が絶えた。帝が死ぬとサベネは狐のようにコンスタンチノープルに帰ってきた。そして貴族どもを説いて回り、貴族どもは欺かれて、愚かにも彼を二人の王の後見とした。後見となったサベネは早速ヒルドブルグを追い出した。ヒルドブルグはメランのウォルフディートリッヒの許に向かった。ウォルフディートリッヒは母の痛々しい姿を見たとき、さらにサベネの振舞いを聞いたとき、激しく腹を立てて、剣を握りしめた。そして僅かばかりの兵を連れてサベネを襲った。彼は長い剣を揮って、戦ったが、群がる敵にはかない兼ねて、退いてリリーンポルテの城に立て籠もった。サベネは多くの兵を率いて城を囲んだ。しかし要害が厳しいばかりか、立て籠もる兵が必死にせめぎ戦うので、城はいつまでも落ちなかった。三年が過ぎたとき、城の中では食物も少なくなった。人々は心配そうに額を集めて、語り合った。ウォルフディートリッヒは思い詰めた気色で、一人で城を忍び出て、加勢の兵を催そうと思う、と言った。ベルヒテルは止めようとしたが、あきらめて、若い主人の言葉に従った。ヒルドブルグも同じ思いを抱いて、ただ黙っているばかりだった。ウォルフディートリッヒはひそかに搦手から城を忍び出て、森の中に姿を隠した。行く先はロムバルディのオルトニットの城である。ルーメリアの荒野に来た時、食べ物がなくなった。彼は飢えを絶えて、鞍を叩いてひたすらに馬を走らせた。馬が躓いてウォルフディートリッヒはは頭をもたげた。するとすさまじい形相の女が夢見るように彼の眼に入った。彼は覚えず叫んだ。城を出たときベルヒテルがくれぐれも近づいてはならないと戒めた魔女ラウフ・エルゼが目の前に現れたからである。女は馬の手綱を握って、何用あって私の領分に足を入れた、といった。ウォルフディートリッヒは、弱り切った声で、ことの次第を明かした。そして、腹がすききって、苦しくてかなわないから何か食べ物を貰いたいと言った。魔女は哀れと思ったのか、懐から妖しい樹の根を採りだして、これを舐めるように言った。試しに一口舐めると、蘇ったように気がすがすがしくなった。彼は厚く女の恵みを感謝しながら、馬をあおって駆けだそうとすると、女はつと手を伸ばして、轡を摑んで醜い顔に妖しい笑みを浮かべながら、樹の根を舐めた者は私を妻とする運命に落ちている、といった。彼は刀の背で項を撫でられたように覚えず身を縮めた。数十万の髪の毛が、一筋ごとに小さい蛇となって、細長い首を絡み合わせていると聞いたゴルゴンにも似た、恐ろしくも醜い女を妻とせねばならぬとは、何たる情けない事だろう。しかし、魔女の眼には、人の力では動かしがたい難しい運命の影が閃いて、若い騎士をその中に吸い込まねばやまなかった。彼は仕方がないので、承知したといった。すると今が今まで目も当てられぬほど醜かった魔女が、たちまち美しい乙女に変わった。乙女は嬉しさに小躍りしながら、ウォルフディートリッヒを見上げるようにして、自分が悪魔に呪われて醜い姿になっていたこと、情け深い男の口から夫婦となるというお約束の言葉を聞くまでは、恐ろしい形相をして、広野の中をさまよわなくてはならなかったこと、ウォルフディートリッヒによって呪いが解けて元に戻ったことを告げ感謝した。ウォルフディートリッヒは驚きもし、喜びもし、乙女の素性を尋ねた。乙女は、トロイの女王ジゲミンネと申すと答え、一緒に来るように伝えた。
ウォルフディートリッヒはジゲミンネに連れられて磯辺にでた。そこには一隻の船がつないであった。二人は船に乗って、トロイに着いた。ジゲミンネは、おのが館にウォルフディートリッヒを案内して、心から親切にもてなした。ウォルフディートリッヒは、さながら魔法に心を蕩かされたように、敵勢に囲まれている自分の母もベルヒテルも忘れてしまって、美しい乙女の館にとどまっていた。彼はジゲミンネが与えた妖しい樹の根の魔力に引っかかったのである。この樹の根を舐めた者は、過去のことをすっかり忘れてしまって、甘い恋に酔いしれるのであった。それから幾年か経つと、ジゲミンネが死んだ。それと一緒に、樹の根の魔力が消え失せた。ウォルフディートリッヒの心には、たちまち過去のことがことごとく蘇って来た。ウォルフディートリッヒは母とベルヒテルを助けなくてはならないと馬をあおってまっしぐらに駆け出した。とある町に来ると、街をめぐる石垣の上に、人間の頭がずらりと並べてあった。ウォルフディートリッヒは大いに怪しんで、そばをっ通りかかった一人の男を呼び止めて、人間の頭を並べるとは容易ならぬことと思うがどうしたのだ、と尋ねた。男は、この町を治めている王様が、きつい異教びいきで、そのために、街の中に入ってくるキリスト教徒を捕らえては、ことごとく首をお切りになるのだと言った。ウォルフディートリッヒは、これを聞くと、ひどく腹を立てて、その名を尋ねた。王様の名はベリガンだと男は答えた。キリスト教信者であるウォルフディートリッヒは、それからすぐにベリガン王の館を訪れた。そして、王に会って、短刀投げの技比べを挑んだ。(短刀投げはその頃広く世に行われていた技)ベリガンは特にこの技に長けていた。王はウォルフディートリッヒの申し込みを応じ、ウォルフディートリッヒは庭に立ち、ベリガンは短刀を投げた。短刀は3本ともはずれ、今度はベリガンが庭に下り立った。ウォルフディートリッヒが飛ばした短刀は、1本目はベリガンが体をかがめ外したが、2本目は体を動かす隙もなく髪をかすめて飛んだ。ベリガンはひやりとして体がしびれたようになった。その刹那に3本目の短刀はベリガンの胸に立った。ベリガンは血に染まって大地に倒れた。
ベリガンを倒したウォルフディートリッヒは、行く手を急いで、とある山路に差し掛かった。すると一人の魔女が現れた。オルトニットが悪竜のために命を落としたこと、その妻リーブガルトが寂しい月日を送っていることを告げた。ウォルフディートリッヒは、魔女の話を聞いてがっかりした。力と頼むオルトニットが死んだとあれば、援兵を借りる望みも絶えたわけである。しかし、彼は万一を頼んでオルトニットの館を訪れた。オルトニットの館には、リーブガルトが腰元を連れて佇んていた。リーブガルトは深い物思いに沈んでいた。やがて彼女は腰元を振り返って、音に聞くウォルフディートリッヒ殿が、館を訪れて夫の仇を打ち取ってくださったら、どんなにうれしい事だろうと言った。ウォルフディートリッヒは仇を打ち取ってまいるだろうと言って現れた。リーブガルトと腰元は驚いて、後を振りった。ウォルフディートリッヒは名乗りを上げた。リーブガルトはあまりの不思議さに会釈をすることさえ忘れているようであった。しかし、驚いたのはリーブガルトばかりではなく、ウォルフディートリッヒも、リーブガルトが生き返ったジゲミンネかと怪しまれるまでによく似ていたために驚いていた。やがてウォルフディートリッヒは悪竜を退治するために館を出た。山路を差し掛かった時、彼はアルベリッヒに逢った。アルベリッヒはどんなに眠くなっても眠ってはならないと言った。しかし、彼は一歩一歩眠くなってきた。そしていつの間にか、山路に身を横たえて、すやすやと眠った。それは悪竜の業であった。すると、間もなく悪竜が現れて、彼の体を摑んだ。そして陰火の燃えている洞穴に連れ込んだ。しばらくして彼は目覚めた。多数の悪竜がかなたに蟠っているのを見たとき、彼は全身の血潮が流れ止んだように感じた。彼は声を立てずにずっと目を見張って思案していた。と目が暗いのに慣れるにつれて、自分の側に剣と指輪とが置いてあるのに気が付いた。彼は指輪を指に滑らすと、剣をつかんで跳ね起きた。悪竜どもは物音に驚いて、一斉に躍りかかった。しかしことごとく鋭い太刀風に命を落とした。彼は悪竜の舌を切り取ってリーブガルトの館に帰ることになった。しかし彼は道に迷って、数日の間山の中に日を送らねばならなかった。館に帰ると、結婚の支度で大騒ぎであった。ウォルフディートリッヒは怪しんで館の者に、誰の結婚かと尋ねると相手の者は、リーブガルトと悪竜を退治した者との結婚だと答えた。悪竜を退治したのは自分より他にいないはずなので誰が手柄を奪うのかと急いでリーブガルトの居間に行ってみた。そこには一人の男が、得意そうな顔をして彼女のそばに腰を下ろしていた。ウォルフディートリッヒは、彼女に向かって、悪竜を退治したというのはこの男かと尋ねた。妖しい男は、リーブガルトが答えるのを待たずに、自分が悪竜を退治したと言った。ウォルフディートリッヒは証拠を求めると男は竜の首を出した。ウォルフディートリッヒは笑って、その竜には舌があるかと尋ねた。男は変なことを尋ねるなと思って、竜の口を開いてみると、舌がなかった。男はたちまち顔色を変えた。その時ウォルフディートリッヒは、懐から悪竜の舌を取り出してリーブガルトに見せた。悪い企みの裏をかかれた曲者はすごすごと館を出て、どこともなく立ち去った。ウォルフディートリッヒは静かに手を伸ばして、女のか弱い手を握った。ウォルフディートリッヒの手には、美しい指輪が閃いていた。女の目は吸いつけられたように、ひたと指輪の上に止まった。疑いもなく亡き夫オルトニットの指に輝いていた品であった。ウォルフディートリッヒは自分の妻となってくれと言った。女は頬を赤くして、暫く彼方の空を仰いでいたが、やがてかすかに頷いて見せた。夫のために悪竜を退治して、夫の指輪を手に入れた男を新しい夫とせよとは、オルトニットの最期の言葉だった。女はこの言葉を胸に浮かべて、微かに頷いたのであった。ウォルフディートリッヒは新しい妻の館に楽しい一年を過ごした。彼がなぜ母やベルヒテルの身を気遣って馳せ帰らなかったかに関しては伝説は何も語ってない。とにかくウォルフディートリッヒはオルトニットの領内の平和と秩序とを回復するために、心ならずも一年を過ごした。一年が過ぎたとき、彼は兵どもを率いて、コンスタンチノーブルに上陸した。そして彼は百姓に姿を変えて一人で街に忍び込んだ。そしてリリーンポルテの城がついに攻め落とされたこと、ベルヒテルとその子息どもが捕虜になったこと、それからベルヒテルは牢の中で死に果てたが、子息どもは今もなお暗い室に押し込められていることなどを聞き込んだ。彼はすぐさま兵どもを進めてサベネを襲った。サベネは戦いに敗れて捕虜となって殺された。彼は二人の弟の罪を許して、コンスタンチノーブルを治めさせた。そして自分はオルトニットの領地ロムバルディに帰って、しばらくそこを治めていたが、後ローマに馬を進めてそこで王者の冠を戴いた。
考察
ウォルフディートリッヒは狼に育てられたというが、彼は狼だったのだろうか。それは北アメリカの神話に見られる尾長狼と関係があるように思う。と言うのも、リーブガルトはオルトニットによって、ガンダールバ婚的に結婚したが、それがためにオルトニットのみでは埋め合わせすることが出来なかった悪竜退治が必要となっているが、これがために、魂の不具合によって生まれたであろう尾長狼の力が必要だったと思われる。時世としてはオルトニットとウォルフディートリッヒはほぼ同時期に見られるため、このことは同じ物語として、天から預かったことのように思う。ということは、ドイツ民族はその時東方のアニマに関してその解決策を見つけるためにこのような婚姻関係を受け入れようとしていたのではないだろうか?それはもちろんドイツ精神医学、心理学にも顕著にみられる研究内容によって現れている。
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白鳥騎士
白鳥騎士の伝説は広くヨーロッパに広がっている。ヘリアスのほかに、ローヘングリン、サルヴィアス、ゲラード、ローヘラグリンがある。
登場人物
| 登場人物 | ドイツ語 | 説明 |
| オリアント王 | | |
| ベアトリス | | |
| ヘリアス | | |
| クラリッサ | | |
| フランクフォルト伯 | | |
| オットー帝 | | |
あらすじ
オリアント王は狩りを好んでいた。ある日供回りを連れて、山や野に狩に出た。ほの暗い森の中から一匹の牡鹿が飛び出したので、王も供回りも馬をそろえてその後を追った。オリアント王の馬は稀代の逸物だったので供回りは遥か後ろに残され、オリアント王は森の中に手綱を控えて、高い声で供回りを呼んだ。供回りの答えはなく山彦が響き返していた。王は枯草の上に腰を下ろして、身を動かさずにいた。薄暗い林の彼方にかすかな音がした。王は剣に手をかけて、音のした方を見つめた。物音は次第に高くなった。すると白い衣の乙女が現れた。乙女の後には一人の騎士と二人の侍童(こしよう)と四人の侍女(こしもと)が続いていた。乙女の頭には冠が載っていた。王は名前とどこから来たかを尋ねた。乙女は白い頬を赤くして、私はベアトリスであり、住居は聞かないでほしいと答えた。王は自分でも疑うくらいにときめいた。二人は様々な言葉を交わして、とうとう夫婦の約束を結んだ。
牡鹿を見失った王は乙女を得た。館に帰ると間もなく婚礼の饗宴が開かれた。そしてベアトリスは王の妃となった。しばらくして戦が起こった。王は兵どもを率いて、それを鎮めに出かけねばならなかった。王は繰り返し自分の母にベアトリスのことを頼み館を離れた。戦は長引きベアトリスは身重となった。オリアント王の母は、腹黒い情け知らずであった。ベアトリスが身重のために健やかにふるまうことのできないのを罵っていた。出産の時期が迫ると、王の母は恐ろしい企てをたてた。ベアトリスはやがて6人の男の子と1人の女の子を産んだ。そして7人の子供の首周りには白銀の鎖が美しく閃いていた。王の母はひそかに7匹の子犬を連れてきた。そして7人の子供と取り換えて、ベアトリスの床の側に置いた。出産の激しい悩みに茫然となっているベアトリスは少しもそれに気づかなかった。王の母は一人の騎士を呼んで7人の子供を渡した。そしてひそかに河の底に沈めよと言いつけた。騎士は罪のない7人の子供を水の中に沈めることはできず、近くの山の上に登った。そして小野が上衣に子供を包んで、そっと林の中に捨てた。そして後を見ずに一散に駆け帰った。7人の子供は悲しい声を上げて泣いていた。この山の中に一人の世捨人が住んでいて、その泣き声に気づいて彼らを抱き上げて自分の小さいあばら屋に帰ってきた。
7人はすくすくと育った。中でも一人の男の子は一段と優れていた。世捨て人はその子にヘリアスという名を与えた。ある時オリアント王に仕えている一人の武士が、森の中で狩をしていると、七人の子供が木陰に環を作って座っていた。七人は小さな手に、あでやかなリンゴを持っていた。首には白銀の鎖をつけていた。武士は驚きの目を見張った。館に帰った武士は美しい七人の子供のことを、オリアント王の母に物語った。すると母はすぐさまその七人が自分の孫であると悟った。そして、ひそかに家来をやって、七人を殺させることにした。家来は山の中に分け入って六人の子供にあった。ヘリアスだけは世捨て人とともに外に出かけていた。しかし家来は六人のあどけない姿を見ると情に砕けて、子供たちを殺すことができなかった。しかし、手を空にして帰るには女王の怒りが恐ろしい。男はふと思いついて、つかつかと六人のそばに歩み寄り、六人の子供の首から白銀の鎖を奪った。とたんに六人の姿は消え失せて、六羽の白鳥が青空に舞い上がった。後に残ったヘリアスは隠者のもとにさみしい月日を送っていた。ある夜、天使が幻のように隠者の夢に現れて、七人の子供がオリアント王の子であるということ、王の母の憎しみを受けて、森の中に捨てられたこと、白銀の鎖を奪われて六人が白鳥になったこと、七人の母は、犬の子を産んだというので、今に殺されようとしていることなどを知らせた。隠者はヘリアスを呼んで委しく(くわしく)夢の話をした。ヘリアスは座を蹴って立ち上がった。オリアント王の館を訪れて、母の命を助けようというのである。
美しいベアトリスが、犬の子を産んだと聞いて、オリアント王は惑いに惑った。美しい我妻が犬の子を産んだとはなんと情けないことであろう。王は黄金の椅子にもたれかかりながら、額を抑えて戸惑っていた。起こっている王の心をなおもかき乱そうと、腹黒い母が、日に幾度となく訪れてきては、口を極めてベアトリスを罵った。王の胸に芽を出した惑いが次第に根を張ったとき王は母の言葉に従って、ベアトリスを殺そうと思い定めた。
雨に悩むようなベアトリスは、館の庭にむずと引き出された。居並ぶ武士はベアトリスの姿を見て、覚えず眼を瞬いている。床几(しょうぎ)腰を下ろしたオリアント王も、さすがに哀れを覚えてひそめた眉の下から安からぬ眼を光らしていた。ただ王の母ばかりは、しわを畳む双の頬に幽かな笑みを浮かべていた。やがて一人の男が刃渡りの広い斧を掲げて、ベアトリスの後に立った。うなじに流れる後ろ毛を掻き上げたと思う間に、たちまち光が閃いて、斧は三尺の空に揮りあげられた。その刹那に後ろの方で爽やかな声がして、暫く待てと言った。一座の人々は驚いて、後を振り向いた。悠々として歩み出たのは、一人の若い騎士であった。騎士は臆した色もなく、王の前に恭しく会釈しながら、罪なき者を罰するは王者に似ぬふるまいと存じ申すと言った。一座は水を打ったように静まり返る。その静けさを破って王の言葉が凛と響いた。女に罪がないというのか、お前は何者だ、と。ヘリアスは自分の名を名乗った。そして詳しく今までの成り行きを物語った後、自分の話が偽りでないという証拠に、白銀の鎖を取り出して王に見せた。王は夢かとばかりに驚き、喜び、覚えずヘリアスを抱いて涙を流した。かようにして腹黒い女の奸計は残りなく露顕した。王はベアトリスに自分の過ちを詫びて、再び楽しい生活に入った。しかしヘリアスの胸には、なお暗い影が差していた。白鳥になった兄と妹を、元の姿に返してやるまでは、暗い影は消えそうにもなかった。ヘリアスは、日ごと悲しそうな顔をして、城の窓から外を眺めていた。
とある日、館の下を流れる川の面に白い物が幽かに見えた。白い物を見ると、ヘリアスはいつも白鳥となった兄と妹を思い浮かべるのであった。水に浮かぶ白い物は動くと見える。白い物が次第に大きくなる。それは白鳥だった。ヘリアスは叫んだ。ヘリアスは階段を下って、父なる王も白鳥と聞いて妃と一緒に椅子を離れた。たちまち大きな水門が高い響きに軋って、三人は川の畔に出た。数々の騎士が遅れてはならぬと三人の後に続いた。真っ先に水の岬に出たヘリアスに王がやや乱れた声で、白鳥の数は、と尋ねた。ヘリアスは六羽だと答え振り向きもせず眼を凝らして遡る白鳥を見つめている。六羽と王は低く繰り返して、妃と顔を見合わせた。疑うまでもない、五人の男の子と一人の娘である。白鳥は、大きな翼を畳んで、豊かな胸に波を裂きながら、ヘリアスのそばに近づいてくる。ヘリアスは王を振り向いて白銀の鎖を要求した。王はあわただしく一人の男を走らせて、白銀の鎖を取り寄せた。鎖を手に受けたヘリアスは、あっと驚いた。鎖の数は六筋に一つ足らない。残る一筋はと王に眼を向けると、鋳流して白銀の盆を作ったのだ、鎖に用はないと思った、と愁わし気に言った。ヘリアスは恨めしそうに、五筋の鎖を眺めていたが、きっと思い返して、白鳥の首の一つ一つにそれを下げてやった。とたちまちヘリアスのそばには、りりしい姿をした四人の男と、美しい一人の乙女とが現れた。残る一羽は、悲しそうな声を立てながら、河の面に緩く環をえがいて、いつまでも去りかねている。人々は覚えず眼をそむけた。やがて白鳥はさみしそうに逝く水ととともに、音もなく流れ去った。熱い涙が、王と妃とヘリアスとの頬を伝って地ににじんだ。
ある日ヘリアスは、館の窓から下を流れる河の面を眺めていた。一羽の白鳥がゆったりと館に近く泳いでいる。それを見ると、ヘリアスの心はなんとなく落ち着かないようになった。その白鳥が自分の兄だと思ったからである。白鳥の後には、一隻の船が続いていた。船の舳から一本の鎖がゆるく垂れて、その端は白鳥の長い首をめぐっていた。白鳥は船を引いたまま、すすと波を切って館の下に来ると、ひたと止まって、身動きさえしなかった。ヘリアスはこの鳥と船とをみているうちに、なんとなく強い力が自分を呼んでいるように感じてきた。彼は神の手が自分を招いていると思った。ヘリアスはその白鳥に導かれて旅に出ようと独り言を言った。彼は両親と友達とに別れを告げた。両親も友達もしきりに思い止まらせようと努めたが、不思議な運命に操られているヘリアスは、その言葉に耳を傾けようともしなかった。驚き惑っているしもべたちを急がせて、甲冑や盾を船の中に運ばせた。その重みに船が揺れると、金物が日の光を受けて、きらりと閃いた。銀の盾の面には、二重の十字が黄金で浮き出していた。やがてヘリアスが静かに船に乗り移ると、白鳥は悠々として流れを下り始めた。
その頃クラリッサという美人の聞こえ高い未亡人がいた。フランクフォルト伯という欲の深い一人の男が、未亡人の領地に眼をつけて、それを奪おうと決心した。それで未亡人に難題を持ち掛けて、さまざまに争いあった末、ドイツのオットー帝に裁きを乞うた。二人は帝の前に呼び出された。フランクフォルト伯は、帝に向かって、公爵夫人の申すことがすべて偽りで、夫人の領地は公爵の死後自分のものになることに決まっていたのだときっぱりした口調で言い切った。帝は、フランクフォルト伯の言い分に間違いはないというような顔をして公爵夫人の方を眺めた。夫人は鳩のような優しいおどおどした目を上げて、フランクフォルト伯の申したことは偽りで、領地は確かに亡き夫が私に与えたものだ、と言った。オットー帝は、裁きかねて二人に決闘を命じた。決闘に勝ちを収めた者の手に、領地が落ちるというのである。オットー帝は情けを知らぬ人ではない。帝は二人を見やりながら、女に剣を持たせるのは無理だから、女に代わって爭うものがあったら、これを許すことにする、と言った。フランクフォルト伯はどんな男の相手でもしますと、長い剣の柄に手をかけて、一座の人々をにらみつけた。クラリッサは双の眼に涙をたたえて、訴えるように一座の騎士たちを見回した。しかし一人として未亡人のために立つ者はなかった。未亡人はひざまずいて神に祈った。オットー帝の侍童(こしょう)はしきりにベルを鳴らして、未亡人に代わって、フランクフォルト伯と闘う騎士が現れることを促した。ベルは鳴る。急き立てるように高い音を立てて鳴る。しかし、一人の騎士も立とうとはしない。この時一羽の白鳥が、小さな船をひいて、帝の館に現れた。人々は一斉にその方に眼を注いだ。白鳥は長い鎖に船を曳いて、厳かに水を分けて流れを遡る。気高く擡げた長い首には、いささかの弛みもないほどに力が籠って、王者も恐れぬ風情である。緩く吹く風に浮く猩々緋(しょうじょうひ)の華蓋の下には、一人の騎士が端然として座っている。白鳥は膨れたる胸にさざ波を立てて、館の下に来た。船の中の騎士はひらりと立った。白鳥は船を曳いて、いずこともなく立ち去った。騎士に降り立った騎士はヘリアスであった。彼は神の招きによって、白鳥の船に乗ったと思った。神の招きによって、白鳥の行くがままに任せようと思った。そして神の招きによって、今やオットー帝の館の畔に降り立ったのである。ヘリアスは何事も知らなず、ただ神の御手の招くがままにというのであった。オットー帝はヘリアスに決闘の次第を話した。彼の心は踊った。神はクラリッサのために戦うべく、自分を招いたのであると思った。彼は快く未亡人のために戦うことを承知した。クラリッサは頬を赤くして人知れずヘリアスの顔に見入った。
決闘は始まった。いずれも劣らぬ猛者なので、火花が散るほどの激しさである。騎士どもは手に汗を握って見つめている。中にもクラリッサの胸は、息もふさがるばかりに騒ぐ。情けある騎士という思いが、怪しくも未亡人の心を動かして、人知れぬなつかしさを覚える。その懐かしい人は、二つとない命を剣の下に投げだしている。クラリッサの顔は耳まで赤くなった。と、やがてそれが鉛のように青白くなった。未亡人は飛び出して二人の戦いを止めたいと思った。領地が欲しくばくれてやろう。懐かしい
人の命を失うのは、自分の胸に剣を突き刺すにも増した苦しみである。しかし、さすがにオットー帝の掟を恐れて、二人の間に身を投げることもできない。未亡人は、騎士どもの後に身を潜めて、眼を覆った。
俄かにどっと騎士の声がした。未亡人は思わず眼を開いて、身をもたげた。未亡人の眼には、地にまみれて大地に倒れているフランクフォルト伯の姿と、剣の血潮をぬぐっているヘリアスの青白い顔とが映った。情けある騎士の剣は、フランクフォルト伯を倒したばかりではなかった。クラリッサは自分の領土と一緒に、美しい体をヘリアスに捧げた。二人の結婚は華々しく執り行われた。しかし、この結婚には、不思議な条件が付いていた。その条件とはクラリッサは、決して夫の名を尋ねてはならないということであった。クラリッサがもしこの条件を破ったならば、二人は永久に悲しい別れをしなければならないというのである。クラリッサの心は惑いに惑った。自分のために邪な騎士を倒した人、自分の手に領土を握らせてくれた人、そして、自分の胸の血潮を躍らせたその人の名を訊くことがかなわないとはなんと情けないことだろう。日々相対していながら、一生涯夫の名を知らないで過ごさねばならないと思うと、クラリッサの心は耐え難い重みを感じる。しかし名を知ったために、命と思う夫と永久に別れるのはこの上ない苦しみである。クラリッサは、余儀なくこの条件に従うことになった。
二人は楽しく日々を送った。しかし、クラリッサの胸の奥には、言いようのない寂しさと、物足りなさとが潜んでいた。日がたつにつれて、クラリッサはこのことばかりに頭を痛めるようになった。その苦しさが募り募って、ある日何気なく夫の名を尋ねた。夫の顔色はさっと変わった。やがてヘリアスは涙を流して、腕に妻を抱いた。そして優しいが、力のない声で、別れの時が来たという。クラリッサは、青白くなった顔を夫の膝に埋めた。そして腸を断つような声で、自分の過ちを詫びて、ひたすら別れ行く夫を引き留めようとした。けれども冷ややかな運命の手は、何物かをつかまねば止まぬ。やがて館の下を流れる河の面に、白鳥が小舟を引いて現れた。白い姿が次第に館に近寄ってくる。クラリッサっは、狂うように身をもがいて、白鳥を呪った。けれども白鳥は何も知らないような風情で、穏やかに波を分けて来る。小舟は音もたてずにその後ろに続く。白鳥が館の下に来た時に、ヘリアスはつと立ち上がった。そして言いようのない悲しみの眼をクラリッサに向けて、小舟に飛び乗った。白鳥は小舟を引いて、悠々として去った。クラリッサは大理石の像のように船を見送ったまま、動こうともしなかった。なぜ自分の名を訊かれると、最愛の妻を捨てて去らねばならぬだろうか。美しい夢のような物語には、むやみに「なぜ」を持ち出してはならない。私はそれは伝説だからと答えておくがよいと思う。
考察
牡鹿を追ってベアトリスと出会ったオリアント王はベアトリスと出会う前、もっと大切な何かを追っていたように思う。それは文字通り牡鹿にまつわる第五の日の秘密と推測できる。ベアトリスが生んだ子供が白鳥だったことから、ベアトリスも白鳥と関連があるとみてよさそうだ。そして七人の子供がもっていたリンゴ、生まれた時から首にかかっていた白銀の鎖、リンゴはベアトリスがガンダールバ婚によってオリアント王と結婚したことの象徴だろうか。そして鎖は彼ら子供がサンポのような契約によってつまり、ナジル人の印を受けていたということだろうか。ガンダールバ婚は子供を拾った世捨て人が象徴している。インドでもこのように子供を育てた者がいたような気がする。
そしてベアトリスをねたんだ母は、やはり子供の運命の相手ではないということを見抜いてそのようにふるまったと思われる。ここでは息子の恋路に立ち入る善悪を除いて、そのようにふるまったという事実を見て。
後半に至っては、ヘリアスは自分の兄弟であろう白鳥とともに旅に出るが、ここで出会ったクラリッサは夫を亡くしているという点で、その夫との間に神に問われるような精神を持っていたと推測できる。これはヘリアスの名前を聞いてはだめだという制約から、サムソンが女に告げてはならないと言われていた秘密と似ている。ジャムシードもこれににた制約がある。この点、彼女はヘリアスとの中によって試されていたということが大きく印象付けられる。そして彼女は制約を破りヘリアスは去っていくのだが、クラリッサはつまり、その秘密を二度も知りたがったということだろう。
すなわち、ドイツではある欠落のためにその代わりとなるものが試験的に現れ、その信仰を試すという物語展開を見せているのではないだろうか。それはこの世の中にとっては取り返しがつくものとして、ある程度の猶予をもって現れていると思われる。白鳥の話はケルト神話でもその兄弟の旅として語られるが、ここにも関連が見出せるのではないだろうか。
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ハットー僧正と鼠
登場人物
| 登場人物 | ドイツ語 | 説明 |
| ハットー僧正 | Hatto | ドイツのフルダ(Hulda)の僧院の僧侶。10世紀末の人物 |
あらすじ
十世紀の末、ドイツのフルダの僧院にハットーという僧正が住んでいた。思慮深い修行を積んで、多数の僧たちを監督していた。ハットー僧正が、フルダの僧院の主となってから十二年目、西暦970年に、ドイツは恐ろしい飢饉に襲われた。その年の夏は、長雨が降り続いた。人々はうっとうしい空を仰いで、深い息をついた。若者は村で集まって踊りを踊ったり祈りをしたり、大騒ぎをして雨が晴れるように心を砕いたがそれも甲斐がなかった。そして秋が来た。
秋が来ても、沈み渡った空を見ることは一日もなかった。人々はそれが心配で震えている人々の頭を押し付けるように低く垂れると、冷たい雨が仕切りなく降り続く。穀物は田畑で朽ちていく。湿気は青い葉や茎をすべて黒く変えてしまった。人々は失望して気が荒くなり口喧嘩が絶えなくなった。こうして恐ろしい飢饉が来た。飢えた者は、狂ったように、食物を求めて歩き回った。
ハットー僧正は、僧院の倉庫におびただしく穀物を蓄えていたので、この飢饉でも食べ物に困ることはなかった。日ごとに倉庫の中の穀物を取り出しては、多くの僧たちと安らかに腹を満たしていた。それを聞きつけて、飢え衰えている人々は、波のように一斉にフルダの僧院に押しかけて来て、食物を乞うた。僧正も哀れと思って、始めの程は少しずつ、穀物を施していた。しかし、限りある倉庫の中の貯えで、限りもない人数を助けるわけにはいかない。気を付けなければ、自分たちまで飢え死にの憂き目を見るに違いない。ハットー僧正は、思慮の深い男なので、たちまち部下の僧に銘じて、僧院の門を固く閉ざしてしまった。飢えたる者の心は、ものの道理を考える余裕がない。野良犬のようにさもしく成り果てた人々は、老若男女僧院の前に群がって口々に罵り騒ぐ。門の中には、僧正たち数々の僧たちが、息をひそめて様子をうかがっている。人々は門を開けろ、食べ物をくださいなどと、声を発している。しかし門のうちでは何の返事もない。むやみに応答すれば、ことが大きくなるばかりである。返答がないとみて、気がいらいらとなっている人びとは、やせ衰えた双の手に、あらん限りの力を込めて門を押す。門を破ってでも乱入しようというのだ。僧正もこらえかねて、自分の身を守ろうと心の中に恐ろしい企てを考えた。
門がさっと開かれた。人々は洪水のように、倉庫の中に流れ込んだ。遅れては一大事と、足を吸い込まれるようにして入っていく。やがて一人の人影も倉庫の外には見えなくなったのを見澄まして、僧正は倉庫の戸を閉めた。人々は倉庫の中が急に暗くなったので、驚いて後ろを振り向くと、冷たい大きな戸が、閉ざされている。飢えに狂っている人の心にも、僧正の恐ろしい企てがすぐさま分かった。人々は穀物をつかむ手を止め、大きな戸を開こうと焦った。僧正の心は情けを知らなかったわけではないが、この事態にわが身の仇と観念したのか、すさまじい笑みを漏らしながら、戸の外に突っ立っている。戸が幽かに震う。中では人々は、必死の力で揺り動かしている。僧正は耳を澄ました。しかし、中の叫び声は、厚い壁にさえぎられてか少しも聞こえない。やがて僧正は倉庫に火をつけた。炎が倉庫を包むと、重い壁が大きな音をして落ち、僧正はあざけるような口調で、国は私に礼を言わねばならない、国の穀物を食いつぶす鼠どもを私が焼き殺すのだから、と言った。その夜僧正は楽しそうに夕飯を済ませた。日ごとオオカミのように飢えていた人々から逃れたので気が休まったのであろう。そして安らかに眠りについた。しかし、それが僧正の最後の安らかな眠りだった。翌朝になって、僧正は朝の祈りをなすため一間に入った。恐ろしい罪を犯した昨日を忘れ果てたように、何気なく戸を開いた僧正は、たちまちあっと叫んだまま、石像のようにそこに突っ立った。壁に掛かっていた自分の肖像には数えきれないほどの鼠が群がって、頭をかみ胸をかじっていたのである。僧正はくぎ付けになったように、身動きもしないでそれを眺めた。何か重い塊が喉にふさがったように感じて、冷たい汗がしきりに額ににじみ出る。一人の寺男が、息を切らして駆けてきた。顔が真っ青になっている。そして僧正に向かって、おびただしい鼠どもが倉庫の中の穀物を食い尽くしている、と言う。まもなくほかの寺男が来て、おびただしい鼠どもが列を作って、僧院に押し寄せてきている、と言う。僧正は驚いて窓から外を眺めた。道も畑も小さい動物で黒くなっている。鼠たちがこちらに向かって動いてきている。僧正は自分の罪を知った。昨日焼き殺された人々が、僧正の言葉のように鼠となって、尽きぬ恨みを晴らそうとするのである。僧正は急にボートに飛び乗って、ライン河の中に突っ立っている高い塔の中に、身を隠すことにした。船の中の僧正は、狂気のように身を震わせて、船を急き立てた。忙しく動く櫂を見つめながら、ひたすら船足の遅いのに気をイライラさせる。船が塔の下に着くと、僧正はたちまち奥の一間に駆け込んだ。そしてありとある戸を堅くとざして、寝床の上に横になった。眼をつぶってじっとしていると、今までの恐ろしい光景が、ありありと浮かんできて、しきりに胸が騒ぐ。それでも水を隔てては、さすがに執念深い鼠どもも、己が身に近づくことができないと思うと、覚えずほっとした。しかし、それは空頼みであった。たちまちけたたましい鳴き声がして、僧正は跳ね起きた。薄暗い枕元に、炎のような二つの眼がぎらぎらと光っている。僧正は身を縮めて、じっとそれを見つめた。それは一匹の猫であった。猫は物に怯えたように、絶えず悲しい鳴き声を立てて、身をもがいている。耳をすますと、窓の外に、がさがさと物をかむ響きが、塔をめぐってあらゆるところから聞こえる。僧正は脳の真ん中に焼き鏝を突き刺されたような気がした。鼠は河を渡って塔の上に上ってきたのだ。僧正はひざまずいて主を祈った。恐ろしさを紛らわせようと、声高く主の救いを求めた。しかし窓の外の物音は、骨を刺すように僧正の胸に響く。たちまち小さな黒い物が僧正の肩に飛びついた。僧正はあっと叫んで身をかわしたが、一匹また一匹絶え間なく飛びついてくる。鼠どもが戸や窓を噛み破って乱入したのである。たちまち僧正の体には、隙間もなく鼠が食い下った。僧正は気が遠くなって、ばたりと床の上に倒れた。僧正の恐ろしい罪の報いは、目も当てられぬようなみじめな死であった。
考察
日本でも赤松という沖縄の軍人が同じようなやり方で食料を独り占めにして一人だけ助かった話がある。この話は第4の日と第5の日の尊さという点を象徴しているように思う。たとえそれが栄光ある人物であっても、殺生に明け暮れるとその栄光も剥奪されるということだと思われる。赤松という男の場合は助かった。これは沖縄という国の情勢や本人への慈悲のためかもしれない。ドイツではそれが許されなかった点を考えると、ドイツも第五の日の問題を抱えているという意味かもしれない。
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ディートリッヒ伝説
登場人物
| 登場人物 | ドイツ語 | 説明 |
| ディートリッヒ | Dietrich | ディートマルの子 |
| ディートマル | Dietmar | ベルンの領主、ディートリッヒの父 |
| ヒルデブランド | Hildebrand | 無双の勇士、ディートリッヒを育てる。 |
| グリム | Grim | ディートリッヒが倒した巨人 |
| ジゲノート | Sigenot | グリムの弟 |
| ウィルギナル | Virginal | 雪の精の女王 |
| オルトギス | Ortgis | ウィルギナルを苦しめる魔法師 |
| ヤムバス | Jambas | オルトギスの息子 |
| ラウリン | Laurin | 侏儒の王 |
| ディートリーブ | | クンヒルドの兄、武士。 |
| クンヒルド | Kunhild | ディートリーブの妹、ラウリンにさらわれる |
| ウィツチッヒ | Wittich | ディートリッヒの家来 |
| エッチェル | | 匈奴王(匈奴王とは遊牧民族の王という意味だろうか。) |
| アーサー | | イギリス王 |
| ウィルギナ | | |
| エルメンリッヒ | Ermenrich | |
| アルドリアン | Aldrian | ニベルング物語に出てくるハーゲンの子 |
あらすじ
ディートリッヒはベルンの領主ディートマルの子である。幼い時からヒルデブランドという無双の騎士に育てられっ手、剣を揮う技が、神に入るとまでたたえられる英雄となった。
その頃領内の山奥に、夫婦の巨人が住んでいて、人々を苦しめた。しかしその巨人たちは、大変力が強くて、牛や馬でも、ただ一撃にたたき殺すので、みんな怖気恐れて、退治に出かけるものもなかった。人々の不甲斐なさに腹を立てたディートリッヒは、ヒルデブランドと二人で、征伐に出かけた。山道でアルベリッヒに出会った。アルベリッヒは、二人に巨人たちの隠れ家を教えて、一振りの宝剣を与えた。宝剣の触れるところは岩さえ裂ける。巨人の肌は谷に根を張っている松の幹のように堅いので、並々の剣では、石を打つ槌のように、巨人の肌から跳ね返されるのであった。ただ子の剣ばかりが、肌を切り肉を裂いて、骨の髄をなめねば止まらないと言われた。
侏儒の王アルベリッヒは、二人の先に立って、巨人の岩屋に案内した。巨人夫婦は、魔法で鍛えた兜に見とれていた。ヒルデブランドは、岩屋の隙間から中の様子を伺っていたが、やがて進んで、大石を押しのけた。途端に巨人は、大きな燃え木をふるって、ディートリッヒに打ってかかった。炎々たる炎が、渦を巻いてディートリッヒの体を包んだ。彼は顔を背けて、はっしと剣を打ち下ろすと、巨人は肉と骨とを断たれて、どうと大地に倒れた。ディートリッヒは、血刀を提げたまま、あたりを見回すと、ヒルデブランドが、巨人の妻と必死に挑みあっている。ディートリッヒはつと駆け寄って、女を斬った。剣の切れ味を見よと、腕や脚を斬りはなった。しかし剣の血をぬぐって鞘に収めたと思うと、斬りはなされた胴と腕と脚とに魂が入ったように、ずるずると大地にうごめいていたが、やがて一つに集まって、再び大きな女が身震いして立ち上がった。ディートリッヒは、剣を揮ってまた女を斬った。女はどうと倒れて二つになった。と、やがて二つが一つとなって立ち上がった。ディートリッヒはめんどくさい奴だ、と叫びながら、三度女を斬った。そして女の体が二つになって倒れたとき、剣をその間の大地に突き立てた。黒鉄には、天地の間にある一切の魔を払う力が籠っている。だからディートリッヒの剣に隔てられた魔女の体は、どうしても一つによりあうことができなかった。そのうちに課rだに籠っている魔力が抜けてしまって、とうとう息が切れた。ディートリッヒは静かに剣を鞘に収めた。そして侏儒の王アルベリッヒから貰った剣と、巨人がかぶっていた兜とを、宝として、父の館に帰った。巨人が貯えていたおびただしい財宝は、ヒルデブランドに与えることにした。ディートリッヒに殺された巨人は、その名をグリムといい、弟にジゲノートという巨人がいて、アルプス山中に棲んでいた。ジゲノートは、兄がディートリッヒに殺されたと聞くと、火のように怒り出して、生意気な奴だと仇を打とうとひそかに時を伺っていた。
ある日ディートリッヒが、とある森の中をさまよっていると、木立ちを動かして、けたたましい声が聞こえた。彼は茂みをかき分けて、声を標に駆け寄ると、一人の巨人が、侏儒をとらえて食い殺そうとしていた。ディートリッヒは、宝剣の抜く手も見せず、巨人を斬り倒した。危ない命を助かった侏儒は、ディートリッヒに向かって、早く逃げなさい、ジゲノートという巨人が、兄の仇だといって、あなたを付け狙っています、と言った。しかしディートリッヒは、顔の色すら変えず、静かな口調で、ジゲノートの岩屋に案内してくれと言った。侏儒はディートリッヒの凛々しい姿に気を飲まれて、黙って先に立って歩きだした。二人は、雪の積もった山路を分けて、奥へと登って行った。あまり山路が険しいので、さすがのディートリッヒも、息が切れて、すっかり疲れてしまった。その時忽然として巨人が現れた。無双の勇士も、息が切れていたので、巨人のためにねじ伏せられて、ぐるぐると戒められた。巨人は鎖の端を掴んでディートリッヒを岩屋の中に引き込んだ。
館に残っていたヒルデブランドは、日が暮れても、ディートリッヒが帰ってこないので、大変気をもんでいた。二、三日たっても、ディートリッヒが帰って来なかった。やがて八日が過ぎた。ヒルデブランドはたまりかねて、山から山へと探し歩いていた。突然ジゲノートが現れて、はっと思う間もなく、大きな棒で、ヒルデブランドを打った。ヒルデブランドは気を失ってしまった。巨人はその足を掴んで、ずるずると岩屋の中に引き込んだ。そして縛り上げるために鎖を探し回っているうちに、ヒルデブランドが息を吹き返した。彼は足音を忍ばせて、巨人の後に狙いよった。そして岩屋を支える柱を小楯に、骨を裂いて、剣を打ち下ろした。巨人の体から血煙がたって、真っ二つになった。
ヒルデブランドが、ほっと一息ついていると、岩屋の中から人の声が聞こえた。ヒルデブランドは、つかつかと声のするほうに歩み寄った。そこには大きな鎖に手足を縛られた主人のディートリッヒが横ったわっていた。ヒルデブランドは躍り上がって喜んだ。鎖はたちまち解かれて、二人は互いに抱いて無事を祝した。高い嶺には、いつまでも雪が解けない。古い雪の解けない間に新しい雪が降って、積もっていく。谷を埋め樹を蔽って千古の秘密を隠してしまったとき、雪の精が生まれた。ウィルギナルはその雪の精の女王である。
ディートリッヒは、巨人ジゲノートは探して、山路をさまよっていた時に、ウィルギナルに会ったことがある。彼女の色は、雪のように白い。細い体に纏っている衣も、また雪のように白い。ディートリッヒはその時は白玉に似た雪の精の女王の姿を、美しいと思ったけれど、そのまま別れてしまった。と、ある日一人の侏儒が、ディートリッヒの館を訪れてきて、ウィルギナル様が、魔法師オルトギスにつかまって、城の一間に押し込められていらっしゃいます。早くお助けくださいと言った。ディートリッヒは承知したと叫んだ。侏儒は先に立って、ディートリッヒを導いて行った。ディートリッヒは、足を空にして山路を急いだ。足の下に砕ける雪が、千古の秘密を探られるのを怒ったように、サクサクと高く音を立てた。しばらくすると、眩しいほどの光を照り返している氷の城が、彼方の空に現れた。城の中には、ウィルギナルが嘆き悲しみながら、身を横たえている。魔法師は、一間にうずくまって、一心に月を眺めている。円い月が、日毎に細くなって、やがて闇に消えたのち、眉のような新月が空に現れると、魔法師は、ウィルギナルに向かって、腰元を一人渡すのだというのが常であった。腰元はみんな雪の精であった。ウィルギナルは、魔法師の言葉をはねつけることができないで、そのたびに一人の腰元を渡した。先に立って歩いている侏儒が、後ろに続くディートリッヒにこう話しだすと、ディートリッヒは腹立たしさに息を弾ませながら、腰元の末路を尋ねた。侏儒は魔法師がその体を引き裂いて骨までも食い尽くす、と答えた。ディートリッヒは歯を食いしばって、一刻も早く魔法師を踏みつぶさねばならないと、輝く眼を上げて、はたと氷の城をにらんだ。するとたちまち一人の美しい乙女が、かなたから雪を蹴って、まっしぐらに山路を駆け降りて来た。双の手をさし伸ばしたまま、そのあとに続く醜い男は、魔法師オルトギスであろう。ディートリッヒは、乙女をやり過ごして、男の前にはたと立ちふさがった。醜い男は、そこをどけオルトギスを知らないのかと叫んだ。ディートリッヒは、金輪際動かないという様子で、オルトギスと知って、道をふさいだのだ。弱い者を苦しめるのは、男の恥と知らないのか、と言い返した。と、魔法師は、折しも続いて駆けつけた手下の兵と一緒に、ディートリッヒに打ってかかった。ディートリッヒの長剣は、たちまち鞘を離れて空に閃く。やがてヒルデブランドはも、主人の後を追ってその場に現れた。激しい二人の太刀風に、魔法師も兵どもも、枕を並べて斬り倒された。やっとのことで逃げ延びたのは、魔法師の息子のヤムバスだけだった。二人はすかさずそのあとを追って、ヤムバスの城に駆け込んだ。そして城に立てこもっていた者どもをことごとく薙ぎ倒したが、ヤムバスの姿ばかりは、見当たらなかった。すると例の侏儒が、再びディートリッヒの許に現れた。そして慌て切った調子で、ヤムバスが氷の城に忍び込んで、ウィルギナルや腰元を苦しめていると知らせた。これを聞くとディートリッヒは、ヒルデブランドと一緒に、氷の城に駆け付けた。雪の精の女王は、頭に美しい冠を戴いている。冠には、幼児のこぶしくらいのルビーが、宵闇に輝く星のように光っている。言い伝えによると、このルビーには、霊が籠っている。吹く風、降る雨、燃え狂う火でさえ、万里にわたる大地さえ支配するというのであった。ディートリッヒが、城の下に駆け付けたきヤムバスは、女王の頭から、奇しき冠を奪おうとしていた。女王は、奪われないように狭間に迫って懸命に身をもがいていた。それを見たディートリッヒは、炎のような息を吐いて、狭間に踊り上がった。と思うと、ヤムバスの体は、逆に空を裂いて窓から投げ落とされた。ディートリッヒはしばらくの間氷の城にとどまることにした。女王は彼のたびたびの情に感じて、夫婦の契りを結ぶことを承知した。やがて人間の世にはとても見ることのできぬような華やかな結婚の式が挙げられた。雪の女王も、女王を囲む雪の精も、ダイヤモンドをちりばめた冠を頭にのせていた。ダイヤモンドに射返された日の光が、窓の外の雪に落ちるたびに雪が五彩の色に輝いた。顔は一斉に薄いベールに包まれている。女王はディートリッヒに導かれて、雪の領土を去って、緑の草の生い茂った人間の世界に降りて来た。そして夫の館に楽しい生活を送っていた。しかし月日の経つにつれて氷の城が恋しくなって来た。人間の世界には、いろいろな花がある。様々な色彩に会って、色彩のない雪の国が恋しくなった。雪の国が恋しくなった時、女はひそかに男を捨てて、氷の城に帰った。日が出れば鳥が鳴くように、天から雪が降る間は、ウィルギナルは、氷の城の中にいて雪の国を治めねばならないのであった。
侏儒の王ラウリンがあるとき、ディートリーブという武士の妹クンヒルドを奪って、山奥の自分の館に閉じ込めた。館の周りには、バラの園があって、その周りに蜘蛛の糸と細い絹の網が張ってあった。そしてどんな者でも、園に踏み込んで、小さい花の一輪でも摘み取った者は自分の右手と左手とを切って、その罪を償わねばならないという掟であった。
ディートリーブは、ディートリッヒの館を訪れて、妹を失った悲しさを話して、助けを求めた。ディートリッヒは軽く頷いて立ち上がった。そのあとにヒルデブランドやウィツチッヒたちが続いて侏儒の王の住居に向かった。バラの園に来ると、気の短いウィツチッヒたちは、絹の網を破って、園の中に乱れ入った。そして太い脛を挙げて、むざむざとバラの花を踏みにじった。紅は飛び緑は驚いて、さしもに美しかった花園が、瞬く間に見る影もないようになってしまった。それを知った侏儒の王ラウリンは、驚いて軍の支度を始めた。彼はまず怪しく光っている帯を締めた。この帯を締めると、十二人の力が湧く。次に悪竜の血で鍛えた剣を腰に垂れた。鉄でも、石でも、まるで竹を割るように裂くことのできる剣である。それから頭には、魔力を込めた帽子をかぶった。この帽子を見ると人間の眼に黒い霧が立ち込めるのであった。物々しい支度をして侏儒の王は、剣を閃かせながら駆けて来て、やにわにディートリッヒに打ってかかった。ディートリッヒは、目がかすんで、覚えずたじたじと退いた。さては魔法の帽子だなと、ヒルデブランドが、主人の後から大きな声で帽子を落とせと教えた。ディートリッヒは声に応じて、侏儒の王の頭から帽子を叩き落した。途端に闇が千里の彼方に逃げ去ったように、侏儒の王の姿が鮮やかに見えだした。侏儒の王はとてもかなわなぬと思って、その場を外して、ディートリーブの側に来た。そして弱り切ったような口調で、妹は、確かにお返しいたします。どうかディートリッヒ殿にその由をお話し合って、私のために命乞いをお願いいたします、と頼んだ。ディートリーブはディートリッヒにその頼みを取り次いで、ここに和睦が成り立った。
ディートリッヒの一行は、侏儒の王ラウリンに導かれて、大地の下の彼の館に入った。館はルビーとダイヤモンドとに飾られて、人の世ならぬ光に輝いていた。奥の一室に入ると、ディートリーブの妹クンヒルドが、大勢の腰元と一緒に、一行を迎えって懇ろにもてなした。酒のめぐるにつれて、一行は身体がしびれてくるような気がした。さては毒を盛られたなと気が付いた時には、瞼が上がらないほど重くなって、ものに押し付けられたような安からぬ夢に落ちた。侏儒の王はずるそうに小鼻を動かしながら、一行の剣を奪って、ひしひしと戒めた。そして暗い岩屋に投げ込んだ。安からぬ夢に夜が明けて、一行が眼を覚ますと、手足が縛られていた。ディートリッヒは侏儒の王の卑しい振る舞いに、熱い息を吐いて怒り出した。熱い息が凝ったとき、一団の炎となって、戒めの縄を焼き切った。ディートリッヒは、つと立ち上がって、一行の縄を解き捨てた。しかし一人として剣を帯びた者がいないので、みんな困り果てた。すると、戸が開いて、クンヒルドが入ってきた。女は黙って一行を招いて先に立った。一行も黙ってそのあとに続いていくと、剣を隠してある広間に出た。一行は急いでそれを越しに帯びて、侏儒の王の許に飛んでいこうとする。クンヒルドは慌てて一行を引き留めて、剣だけではまた悪計に掛かると言って、一人毎に一つの指輪を与えた。そして、それをはめていなくては侏儒の王の兵どもの姿が目に見えないと言った。やがて侏儒の王の兵どもとディートリッヒ一行の間に、激しい戦いが始まったが、侏儒軍が破れて、ラウリンは高手小手に縛り上げられた。一行はラウリンを連れて、ベルンに帰ってきたが、クンヒルドはラウリンを憐れんで、ディートリッヒに命乞いをした。情を知るディートリッヒは快くラウリンを許してやった。さてクンヒルドは、始終暖かい心をラウリンに寄せていたというので、侏儒の王は、彼女を妻とすることができた。二人は大地の下の美しい館に、美しい生活を楽しむようになった。
「父ディートマルの後を継いで、アマリングの地に王となった後のディートリッヒの生活は、変化を極めている。それでここにはその概要を記すに止めて、すぐにこの英雄児の最後の奇しき物語に移ることにする」
ディートリッヒは王の位に即位すると、まもなく匈奴王エッチェルを助けて、ウィルギナ王を討った。後アーサー王の軍勢に攻め寄せられて、ヒルデブランドやその他の勇士も虜にせられた。ディートリッヒは、これらの功臣の命を救うために甘んじて国を去った。そしてエッチェルに身を寄せた。エッチェルは暖かい心でディートリッヒとその功臣とを迎えた。ディートリッヒは、エッチェルの許に二十年の間留まって、王のために多くの敵を破った。その後匈奴王の情けで、兵どもを率いて堂々と故国に攻め入った。と間もなく彼の叔父エルメンリッヒ帝が彼と仲たがいして押し寄せて来た。彼はこれをラーベンに近い野に迎えて激しく戦った。彼の奮戦は敵味方の眼を驚かすばかりであったが、大勢の敵のために、頼み切った兵どもを討たれて、力なくまたもや匈奴王の許に身を寄せることになった。数年の後、彼は故国を取り返すために、わずかばかりの兵どもを連れて遠征へ上った。ところがエルメンリッヒ帝は、心のねじけた家来のために毒殺されたので、王者の冠はおのずとディートリッヒの頭に落ちることになった。
後匈奴王エッチェルはアルドリアンに騙されて、ニベルングの財宝が隠されているという岩屋に閉じ込められた。そしてそこにあった黄金や宝石に眼を奪われているうちに、とうとう餓死をしてしまったので、彼の領土もまたディートリッヒの手に落ちた。こうしてディートリッヒはとうとうヨーロッパの南半に覇を称えるようになった。イギリスのアーサー王と同じように、勇名を一世に馳せたベルンのディートリッヒは、ある時いつも自分の股肱(ここう)と頼んでいた一騎当千の剛の者ばかりを、自分の館に集めたことがあった。それらの人々は、円卓騎士の人々とおなじく、その勇気はたとえディートリッヒに劣るとしても、戦と聞けば、食事も忘れて飛び出すという連中ばかりであった。こうした騎士たちの中には、有名なヘルブランドや、その息子のヒルデブランド、エッケハルト、ウォルフハルト、アマルングなどの勇者がいた。暴風雨が来ようと、雷が落ちようと、びくともしないほど頼もしく並んだ騎士たちをずらり見回したディートリッヒは、さも嬉しそうに微笑みながら、どんなにキリスト教が広がっても、キリスト教国にこれくらい見事な集会はよもあるまいと言った。並み居る一同は、その言葉にk耐えるように、感激に満ちた面持ちで叫んだ。けれどもただ古強者のヘルブランドばかりは、何と思ったか、苦々しい顔をしたまま黙り込んでいる。ディートリッヒの眼は怪しくひかり、なぜ何も言わないのかと尋ねた。ディートリッヒの言葉は、矢のように鋭くヘルブランドへ飛んだ。向き直った老騎士は毒々しいほど落ち着いて、並み居る人々を片手で指さしながら、これらの者よりも強い者どもが見つかったら、王様はどうされるか、言って、この上黙っているのが我慢できないというように、再び話し続けた。ディートリッヒの眼にはいつの間にか妬ましそうな光さえ浮かんできた。ヘルブランドは、王様がそんなに聞きたいなら話そうと言い、さらに、ウォルムズの街に奥行きのしれないほど広いバラの園があって、王妃や侍女たちのほかは、王妃の許しがなければ入ることはできない、この神聖な園の垣をむやみに超えようとするならば、たちまち十二人の護衛からつまみ出される、この世にはこれほど強い人がいるのだと、言った。これを聞いた若武者は惹かれたように、ただの一人もそこへ入った者はいないのか、もしその兵士に打ち勝ったらどんな褒美がもらえるのだろう、とつぶやいた。ヘルブランドは、自分は褒美として何も上げないが、話に聞くと侍女たちは美しい女ばかりで、褒美にはバラの花冠と、侍女の接吻を一つ貰えるそうだと言って、幽かにため息を吐いた。剛者たちはこれを聞くと、どうしても引っ込んではいられなくなってきた。また、ディートリッヒの、心までも、ひどくはやり始めた。王は、私はそんな褒美などに眼もくれたくないが、自分の名誉と栄光を考えると、そのような勇者の名を聞いて黙っているわけにはいかない。ブルガンディーへ私に続く者はいないのか、と言った。すると、武勇を誇る騎士たちが、躍起となって王の周囲に群がってきた。ディートリッヒはさも満足気にその中から八人だけを選り抜いた。けれどもバラ園の十二人の強者たちと戦うには、ディートリッヒのほかに、なお三人の騎士が必要であった。それは、ヒルデブランドの勧めによって、ヒルデブランドの兄でムンチェンツェル寺院の僧侶であったイルザン、エッツェル王の辺境伯リューディゲル、それからディートライブの三人であった。戦いに勇み立つ勇者の鋭気は、いまにも沖天へ昇るような勢いである。使者として選ばれたリューディゲルは、一同に先立って、ウォルムズのギビッヒ王に会った。そして、ディートリッヒ王がバラ園の強者と一騎打ちをを決心して向かっている。王様には依存がないかと尋ねた。ギビッヒは即座に、遠慮なくどしどしやってくるがいいと無造作に答えた。その時小躍りして喜んでいた勇士たちは、ディートリッヒを先に立てて、美しい女の接吻と花束との褒美を何より目標にして雄々しく出立したのであった。ほどなく彼らが着いたところはバラ園であった。勇者と勇者は一騎打ちだと言って、バラ園の中で、相向かった。ものすごい格闘は始まった。一番槍の功名を挙げて、相手を組み敷きながら荒々しく息をついていたウォルフハルトは、女の捧げる花冠を頭に戴いた。けれどもその歓喜もつかの間に彼は続いて飛び出す敵のために大地に叩き込まれるように打ち付けられてしまった。続いて現れた僧侶は、相手を次々に叩きつけて、花冠を戴いたばかりか、美しい唇の接吻までももらうこととなった。彼は、大きな胸を轟かせながら、我を忘れて女を搔き抱いた、けれども彼のあごの髭は待ち設けるように女の唇を遮ってしまった。勇気百倍したディートリッヒの騎士たちは、腕をさすりながら、片っ端から敵を薙ぎ倒して行った。血生臭いにおいに立ち込めた戦いの場は、ものすごい気配とともに暮れてて、傷ついた敵の唸り声が、聞こえてくる。勝負は、日が暮れるとともに、ディートリッヒの勝利となった。こうして彼はヘルブランドの鼻をへし折って、自分の股肱(ここう)の家来たちが、何人よりも強いことを証拠だてたのであった。
ディートリッヒも長い戦いに倦み果てたのか年老いてからは、ただ館の中に安らかに寝起きしていた。それも退屈になると、馬にまたがって山や野を駆け回っては、獣を射ることにしていた。ある日狩りにつかれたからだを、小河の水につけていると、供回りの一人が駆け寄って、美しい小鹿が見えると言った。ディートリッヒは、白い眉の下から安からぬ眼を光らせて、馬を用意するように叫んだ。供回りは木陰につないであった馬の方に駆けて行った。急いで身支度をしたディートリッヒは、心を焦らして馬を待っていた。しかしなかなか馬は来なかった。ディートリッヒは、唇を噛んで駆けだそうとしていた。途端に天から降ったのか地から湧いて出たのか、濡羽鳥のように黒い色をした一匹の馬が、忽然として彼の前に現れた。魔に呪われたとは夢にも知らないで、ディートリッヒは、鬣を掴んで鞍の上にまたがった。馬は宙を飛んで駆けだした。折から現れた供回りは、はっと驚いて、我を忘れて主の馬に飛び乗るなり、黒い馬のあとを追っかけた。黒い馬は轡を鳴らして、暮れかかる闇を裂いて走る。供回りはとうとう主人の影を見失ってしまった。呪われた馬は呪いが尽きてしまうまでは走らねばならない。赤い日が冷たい塊となって、円くなり細くなる月が、それを忘れるまで、呪いが尽きぬ。ディートリッヒは今もなお走っている。黒い馬にまたがって走っている。
注記:ディートリッヒ・フォン・ベルンはヘルデン・ブッフの主要なる英雄の一人である。彼はウォルフディートリッヒと親戚関係がある。ディートルマルとウォルフディートリッヒは共にフーグディートリッヒの子である。ディートリッヒの冒険は様々な古い文献に記されている。最も名高いのはウィルキナ・サガ(Wilkina Saga)。多くの詩人によって、ベロナのテオドリック(実在する人物)と同一人物とみなされている。エッチェルはアッチラとされる。
ディートリッヒは多くの名高い勇士を侍らせている。「ハイメ(Heime)」「ウィッチッヒ(Wittich)」「イルザン(Ilsan)」「ウィルドエーベル(Wildeber-Wild boar:猪)[ウィルドエーベルは大力でその力は彼が人魚から貰った黄金の臂巻に籠っていると言われた」「アマルング(Amalung)」「ヒルデブランド(Hildebrand)」などである。
考察
ディートリッヒはユダを思わせる。これは最後の小鹿について、武勇名高いディートリッヒは自らの軍をキリストと比較する際に試されている。巨人を倒すこと、雪の王女を助けること、これらは最後の馬の出現を示唆していると考えられる。雪の国でウィルギナルと結婚してその後彼女が自分の国に帰るという話は、白と黒の変容に対応しているかのようである。侏儒のバラの園へ入ったときと同様に最後には再びバラの園を荒らしているが、これはエデンを守るために必要な力が備わっているかという試しと対応しているようにうかがえる。そして、最後に、小さな小鹿を見逃してやることなく自分の欲を優先したため、その馬は遣わされた。という印象が強いと思う。つまり、ユダは力ゆえにナフタリのかごである大切な何かを奪ってしまう可能性がある。そして、ヨセフがエジプトで王となった理由に、白が黒となり、黒が白となった原因がある。これは明らかに第5の日に準ずる問題を示唆している。そして、ウォルフディートリッヒから続くように、これは狼の問題でもあるのだ。
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魔剣の力
登場人物
| 登場人物 | ドイツ語 | |
| ウィーランド | Wieland | ヘリゴーランド(Heligoland)の名高い鍛冶屋。自分の息子に宝剣ミムングを渡す。 |
| ウィッチッヒ | | |
あらすじ
ヘリゴーランド(Heligoland)に、ウィーランドという名高い鍛冶屋がいた。ウィーランドが鍛え上げる剣には、恐ろしい例が籠っていて、触れる者すべて倒さねば止まらないと言われた。ウィーランドには一人の男の子があった。その名をウィッチッヒと言った。ウィッチッヒは、胆の太い、力の強い若者であった。ディートリッヒの勇名が、遠近に鳴り響くにつれて、彼は若い胸の血潮を躍らせて、口癖のように、ディートリッヒとぜひ技を戦わしてみたいと言っていたが、とうとうじっとしていることができなくなって、思っていることを父のウィーランドに打ち明けた。ウィーランドはわが子の勇ましい決心を聞いて、やってみるがいいと言って、華やかな鎧にミムング(Mimung)と名付けた宝剣を添えて、ウィッチッヒを励ました。ウィッチッヒは、輝く眼に高い空を仰いで、目指す相手のディートリッヒの館に向かった。その路で、ディートリッヒに仕える勇士ヒルデブランドたちに出会った。ヒルデブランドは、自分の名と素性を隠して、ウィッチッヒに話しかけた。いろいろ話し合っているうちに、ウィッチッヒが、自分がディートリッヒと一騎打ちの勝負をしに出掛けたところである、自分の剣には奇しき霊が籠っていて、遅れをとることはないと思う、と言い出した。これを聞くとヒルデブランドは、心の中でひどく悶え始めた。主人のディートリッヒの優れた技でも、名工ウィーランドの槌に鍛えられた剣を受け止めることはできまいと思うと、気が気でなかった。しかしわざと何気ない風をして、ディートリッヒ殿は無双の勇士で、とても勝てることはできないだろう、もしウィッチッヒが一人で山路に立ちふさがって十二人の賊を倒したらティートリッヒに引き合わせてやろう、と言った。これを聞くとウィッチッヒは、底力のある声で、承知したと答えた。こうしてウィッチッヒは、とある山路に立ちふさがって、山賊のやってくるのを、今か今かと待ちわびた。夕暮れ時に至って、細い月が空に出た時、十二人の山賊が現れた。真っ先に立っていた一人が、やられたと叫んで倒れた。さらに駆け寄ってきた他の山賊が、すぐ折り重なって倒れた。こうして十二人の山賊が切り殺されたが、宝剣ミムングは、杖で水を切ったほどにも手ごたえがなかった。ヒルデブランドは、聞くにも勝る宝剣の冴えに驚いた。恐ろしい業物だ、あれがあってはディートリッヒ殿の体が危ない、と思いその夜ウィッチッヒの宿に忍び込んで、ひそかに自分の剣とウィッチッヒの剣をすり換えた。そんなこととは夢にも知らないで、ウィッチッヒは、ヒルデブランドに導かれて、ディートリッヒの館に着いた。そして一騎打ちの勝負を望むと、ティートリッヒはすぐに承知した。二人の剣が、暫くの間鋭い音をあたりに響かせていたかと思うと、やがてウィッチッヒが手にしていた剣は、鍔元から二つに折れて、からりと大地に落ちた。彼は素早く三尺ほど後に飛び退って負けを認めようとした途端、ヒルデブランドが駆け寄った。そして、まだ勝負はつかない、言って剣をすり換えたことを話し、武士に似合わない振る舞いを詫びて、宝剣をウィッチッヒに返した。やがてまた斬りあいが始まった。ウィッチッヒの剣に籠る恐ろしい霊が、切り結ぶ相手を呪って、ディートリッヒの腕が、次第にしびれて来る。ディートリッヒは、からりと剣を投げ出して、降参し身を投げ出した。ウィッチッヒはその潔い言葉にすっかり感じ入って、自分の手柄は全く剣のおかげであるから、この剣を持たない先刻の試合に、自分が後れを取ったのでも、自分の手並みがよくわかった、と言った。そしてそれ以降心を傾けて、ディートリッヒに仕える身となった。
考察
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接吻の賭
登場人物
あらすじ
ディートリッヒに仕える勇士の一人イルザンは坊さんであった。しかし坊さんとして、静かにお経を読むよりも、騎士として戦場を駆け回るほうが好きだった。六尺と三四寸の体には猪のような剛毛が生えて、大きな丸い目からは電光が閃きそうな風貌だった。あるとき、イルザンはディートリッヒに従って、ウォルムズなるクリームヒルド姫の館を訪れた。というのは、クリームヒルド姫は、館の中にバラの花園をこしらえて、十二人の騎士にそれを守らせていた。そして日頃口癖のように、誰でも、太刀討つ技で、十二人の騎士を負かした者があったら、バラの花と私の接吻とを与えよう、と言っていた。十二人の騎士と太刀を合わせる者が、やはり十二人を超えてはならない。
この噂を聞くと、ディートリッヒが試合に応ずることになった。従うものは、ヒルデブランドやウィッチッヒなど十一人であった。そして坊さんのイルザンも、その十一人のうちに選ばれたのであった。クリームヒルド姫の十二人の騎士と、ディートリッヒを中心とする十二人の騎士とは、激しく馬を掛け合わせた。磨きすました剣や槍が、日の光を照り返して、すさまじいほどきらめき渡った。やがて戦いはディートリッヒ方の勝ちとなった。クリームヒルド姫は、口惜しくてたまらなかったが、約束を破るわけにはいかないので、ディートリッヒをはじめ数々の騎士に、バラの花輪を与え、またその顔に暖かい接吻を与えることにした。騎士たちは恭しく感謝の心を表した。女性に優しいのは、騎士の習いである。
ただ乱暴者のイルザンだけは例外であった。接吻をうける順番が、自分に回ってきて、クリームヒルド姫の柔らかな唇が、おのが額に触れたかと思うと、双の手で、やにわに姫の顔を引き寄せて、針のような髭を力任せに姫の頬にこすりつけた。姫は痛い、止してください、と叫んで、毛虫に刺されたような目つきをした。しかしイルザンは止さなかった。彼は、幾度となく音を立てて、頬と頬とをこすり合わせた後で、やっと姫の顔から手を離した。そして、ずいぶんいい気持だった、厚く姫にお礼もうす、と言って、さも気持ちよさそうに、高く笑った。クリームヒルドの美しい頬には、紅を溶かしたように、赤く血がにじみ出ていた。やがてティートリッヒたちは、おびただしいバラをもって、館に帰ってきた。イルザンもたくっさんの花輪を抱えながら、僧院に立ち戻った。僧院にいる坊さんたちは、イルザンの姿を見ると、互いに袖を引きあってくすくす笑い出した。笑うのももっとも千万である。六尺もある荒法師の手に、バラの花束が摘まれているのは、猪の毛に荻の花びらが散りかかっているようなものである。しかし、イルザンはたちまち眼を向けて、何がおかしくて笑っているのかと尋ねた。坊さんたちは、いよいよおかしくなって、返答はせずに、ただ笑っていた。すると、イルザンは、たちまち花輪を掴んで、一つ一つお坊さんたちの円い頭に投げつけた。花の影に隠れて鋭い棘が、滑らかな頭を、いやというほど突き刺した。坊さんたちは、頭を抱え、足を詰めだてて、痛いこれはたまらないと大騒ぎをし始めた。イルザンはそれを見ると、手をたたいて、タコ踊りが始まった、面白い面白いとわれた銅板を鳴らすように笑い喜んだ。
考察
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聖杯物語
登場人物
| 登場人物 | ドイツ語 | |
| 大魔王ルシファ | | |
| ヨセフ(アリマテア) | Joseph(Arimathea) | |
| チツレル | Titurel | ローマの若い騎士、信仰にあふれる。 |
| フリムーテル | Frimoutel | チツレルとスペイン人の娘の息子 |
| リシュード | Richoude | チツレルとスペイン人の娘の娘。 |
| アムフォルタス | Amfortas | フリムーテルの2人の息子と3人の娘のうちの長男。弟は隠者となり、後にパルチファルと出会う。 |
| ルパンス | Repanse | アムフォルタスの妹の一人 |
| ガムレット | Gamuret | アムフォルタスの一人の妹の夫。パルチファルの父。 |
| パルチファル | Parzival | アムフォルタスの妹とガムレットの息子。後の予言の通りの騎士となる。 |
| クンドリー | Kundrie | アーサー王の館で現れる巫女 |
| ガウェーン | Gawain | アーサー王の円卓の騎士の一人 |
| グラモフラウス | | 魔術師 |
あらすじ
大魔王ルシファが、展開における神との戦いに打ち負かされて、幾重の雲を貫いては、昼から夜へ、夜から昼へと、奈落の底に落ち込んだ時のことである。六万の天使たちがかつてルシファに捧げたと言われる黄金の冠から、美しい宝石が抜けて大地に落ちた。人間たちはその宝石をきざんで、聖杯を作った。聖杯は幾年後に、アリマテアというヨセフの手に落ちた。それからまた幾年かの後、救世主キリストが、最後の晩餐を催したとき、この聖杯が取り交わされた。そしてキリストが十字架にその尊い血を流したとき、ヨセフはこの聖杯を捧げて、救世主の脇腹から血潮を満たした。聖杯は神の子の血潮によって、霊妙な力を得た。聖杯のある所には必ず幸がある。永遠に聖杯を眺めるものは、永遠に頬から赤い色が褪せることはないと言われた。
ところが世が末になって、人の心が汚くなると、聖杯はおのずと空に飛び去ったが、幾年の後、モントサルヴァッチ(Montsalvatch:ある者はスペインにあったという)に荘厳な殿堂が立てられると、聖杯はこの世に降りて来て、救世主キリストの体を刺し貫いた槍と一緒に、恭しくその中に納められ、清い心の武士が怠りなく昼夜これを守るようになった。その由来は次のようである。
ローマに生い立った若い騎士に、チツレルというものがいた。チツレルは熱心な信者で、キリスト教の敵なるサラセン人と戦った。そして分捕り品を寺に納めたり、貧しい人々に施したりしていた。彼の勇気と善い行いと、神を敬う心とは、人々のほめたたえるところになった。ある日チツレルは、何思うともなく、ただ一人で森の中をさまよっていた。すると、一人の天使が蒼い空から現れて、「チツレルよ。天界なる主は、そなたをモントサルヴァッチの聖杯を守る役にお選びになった」と言った。これを聞くと、チツレルは、すぐに己が家に駆け戻って、家財の始末をした。そして日頃好んでいる甲冑を身に着けて、秘蔵の剣を腰にして、再び森の中に引き返した。するとそこには一段の白い雲がいけるように漂っていた。白い雲はチツレルの先に立って、大地の上をふわふわと動いて流れた。チツレルは神の手に導かれるようなうっとりした気持ちで、黙って白い雲の後に続いた。とある険しい山の頂に来た時、白い雲は、はたととどまって、眩しい光がさっとチツレルの眼に流れ込んだ。何気なく空の彼方を眺めると、噂に高い聖杯が、目に見える天使の手に捧げられて、碧玉のように輝いていた。チツレルはあまりの尊さに、覚えず大地にひざまずいた。そして双の手を空に挙げて、心から神の栄光を讃えた。
暫く黙祷をした後で頭を挙げると、幻に見た聖杯は、いつの間にか後もなく消え失せていた。不思議に思っていると、賛美歌の声がチツレルの後ろに聞こえた。驚いて振り返ると、華やかな鎧を着た騎士たちが立ち並んでいる。騎士たちはチツレルを推し立てて、聖杯を守る彼らの首領となした。チツレルは騎士たちと一緒にその地を守ることになった。たとえ聖杯はまだこの世に降ってないとしても、その姿が幻に現れた尊い土地である以上汚れた心を持つ人間に足を踏み込ませてはならないと、チツレルは懸命になっていた。
それから幾年か立った。しかし聖杯はやはり大地に降ってこなかったので、チツレルはこれを迎えるために、殿堂を作ろうと思い立った。騎士たちはすぐにそれに同意して、力を併せて昼夜働き続けたので、まもなく希通りの殿堂が出来上がった。殿堂は径100メートルを超え、殿堂の周りには八角形の礼拝堂が72ほど並び、礼拝堂の一対ごとに、六階建ての高い塔が雲に迫ってそびえる。殿堂の円天井には、日と月の形が、ダイヤモンドと黄玉でちりばめられ、夜でも光り輝いていた。殿堂が出来上がるとチツレルは大勢の坊さんを集めて、厳かな式を営んだ。式の最中で、どこからともなく聖杯が静かに空を滑って、中央にあった祭壇の上に音もなく降りて来た。そして天上の楽の妙なる調べが皆の心にしみわたった。チツレルは大勢の騎士と一緒に力の限り心を込めて聖杯を守った。聖杯は日ごと不思議な力を表して、人々を驚かせた。どんあに深い傷でも、ただ一目聖杯を眺めただけで、すぐに癒える。神が自分を思っていることを、人々に伝えようとするときには聖杯の縁にその文字がおのずと現れるのであった。チツレルは、聖杯の力で年を取ることがなかった。400歳になっても、まだ40歳にしか見えなかった。するとある日聖杯の縁に、「チツレルよ、妻を娶れ」という文字が現れた。チツレルは神の思しによって、スペイン人の娘を娶った。
二人の間に、フリムーテルという男の子と、リシュードという女の子が生まれた。フリムーテルが大きくなって、二人の男の子と三人の女の子を産んだ。長男の名をアムフォルタスという。チツレルはやがて聖杯を守る尊い役を、フリムーテルに譲った。しかし、フリムーテルは、いくら年月が経っても、何の変わりもない殿堂の務めにあいて、「私は、人の世に交じりたい所存で」と言い出した。父のチツレルはとんでもないことだから思いとどまるようにと𠮟りつけたが、フリムーテルはどうしても聞き入れなかった。彼はとうとう長い槍を小脇に挟んで、モントサルヴァッチの山を下って人の世に出た。そして恋と誉とに泣いたり笑ったりする騎士たちの間に交じって、その日を送っていたが、天界の神は彼のふるまいをあさましいと思ったのか、ある日の試合に、相手が繰り出す槍の穂先に貫かれて、敢え無い最後を遂げた。
そこでフリムーテルの調子アムフォルタスが跡を継いで、聖杯を守る首領となった。しかし暫くすると、彼もやはりその勤めに飽いて、尊い山を下ってしまった。弟もまたそのあとを追った。天界で人の世のありとある出来事を知っている神は、それを苦々しいことだと思って、アムフォルタスの身に重い罰を下した。
アムフォルタスは、さまよっているうちに、一人の美しい乙女に恋をした。そしてその熱い思いを打ち明けると、乙女は眉を上げて、「その恋を叶えたいと思召すなら、私のためにありとあらゆる騎士と闘って下され」と答えた。アムフォルタスはすぐに槍を抱えて路に出た。そしてそこを通る騎士に戦いを挑んだが、神の憎しみを受けた悲しさには、敵の穂先に眼がくらんで、脇腹を深く刺し貫かれた。アムフォルタスの弟は、それを見ると、自分の兄に神の裁きが下った、兄を追って人の世に逃れた自分にもいつかは同じ裁きが下るだろう、と心からわが身の行いを悔いて、たちどころに槍をへし折ってしまった。そして世を逃れた隠者となって小さい庵を作りそこに閉じ籠って、神に祈ることになった。
脇腹を貫かれたアムフォルタスは、痛手をこらえて、とぼとぼと聖杯の殿堂に帰ってきた。アムフォルタスは犯した罪を恐れ、せめて神のひざ元に冷たい亡骸を横たえたいと心から願った。しかし命の糸はいつまでも細く続いた。傷の痛みは、昼となく夜となくアムフォルタスを悩ました。彼は死にたくてたまらなかったが、どうしても死ぬことができなかった。チツレルは、愛しい孫の悩みを見るに見かねて、祭壇の前にひれ伏しては、狂ったように神の許しを乞うた。とある日聖杯に、鮮やかな文字が現れた。その文字は
「いつの日か神に選ばれたる騎士が、山を登って殿堂を訪れる。訪れた騎士は、悩みの原因を尋ねる。騎士の言葉の口より漏れるとき、傷に籠る呪いが解けて、悩み立ちどころに去る。汝らはその騎士を仰いで、殿堂を守る王者とせよ。」
チツレルは神の仰せをかしこまり、神に選ばれたる騎士の現れるのを、日毎待ちわびていた。
アムフォルタスの一人の妹が、ガムレットという王子を夫として、男の子を生んだ。それが聖杯伝説に名高いパルチファルである。
パルチファルがまだ幼い時、父のガムレットはとある戦に出て、重い傷を受けて死んでしまった。母は悲しさのあまり心から戦を呪い人の世を呪った。そしてただ一人の幼児が、父と同じような運命に陥ることを恐れて、とある森の奥に引きこもった。そして世に背き人に背いて、わが子とただ二人さみしい月日を送っていた。パルチファルは、昼も薄暗いような森の中を、この世界と思っていた。自分の母のほかには、人間という者のいることも知らず、寂しいということも知らなかった。恐ろしいということも、まるで分らなかった。尊い無知の心のままで、すくすくと生い立って行った。
パルチファルは、自分の手でこしらえた弓箭をもって、毎日のように山の中を駆け回っていた。ある日小さい鳥を射落として、それを母の許に持ってくると、母は、痛ましい小鳥の亡骸を見て、思わず、おお神よ、と叫んだ。パルチファルは、生まれて初めて神という名を耳にしたので、その意味がさっぱり分からなかった。彼はあどけない眼を見張って、神って、なんですの、お母さん、と尋ねた。母は無邪気なわが子の顔を見下ろしながら、「天にいらっしゃる尊い方で、輝く日よりも、もっと輝く方よ。お姿とお顔は人間によく似ていらっしゃいます。」と教えた。パルチファルは、その後しばらくして、森の中で多数の騎士に遇った。騎士たちのつけている甲冑が、梢を漏れる日の光を照り返して、きらきらと輝くのを見ると、パルチファルの胸には、すぐに、「輝く日よりも、もっと輝く方よ」という母の言葉が浮かんできた。。彼はたちまち大地の上にひざまずいて、騎士たちを見上げながら、「おお神よ」と言った。騎士たちはパルチファルの無邪気さと無知とを面白がって、「私たちは神ではない。騎士というのだ。弱い者を助けて、強い者を挫く騎士というものだ。美しい甲冑が欲しいなら、お前も騎士になるがいい」と言った。パルチファルは夢の国の物を見るように、うっとりした眼を光らせながら、懸命に騎士たちのいでたちに見入っていた。騎士たちは、いよいよ興がって、パルチファルを囲んで、彼が今まで知らなかった人間世界の話をして聞かせるのであった。「この森の外には広い世界があって、そこで、わしたちは、面白い華やかな日を送っている。こんなくらい森の中では、とても見ることのできぬような美しい女もいるよ。その美しい女たちをかばって、槍を揮うのが面白い。どうだ、お前も騎士になりたいか。なりたいなら、アーサー王のところに行くがいい。器量次第では、円卓騎士のうちにもくわえられるぞ」とも言った。
騎士たちと別れて、森の下路を歩いているパルチファルは、もはや今までのパルチファルではなかった。彼の胸には、新しい世界が開けていた。森の中がすべての世界ではないということ、母だけがすべての人間ではないということが、はっきりとわかってきた。華やかな騎士、美しい乙女、アーサー王の館、いろんなもので、パルチファルの頭はいっぱいになってしまった。彼は茫然として山路辿った。家に帰りつくと、パルチファルは、騎士から聞いたことを詳しく母に話して、私も馬が欲しいと言い出した。馬にまたがって、別れた騎士たちの後を追いたいと思ったのである。母は、悲しそうにじっとわが子の顔を眺めていたが、もうこうなっては、引き留めても無益だと思って、みすぼらしい衣と、やせこけた仔馬とをパルチファルに与えた。そして心の中で、「華やかな世界に出たら、きっとみんなに笑いあざけられて、まもなく森の中に引き返してくるであろう。それだけがせめてもの頼みである」と思った。母は、パルチファルがまたがった馬の側について、とぼとぼと山路を下った。森はずれまで来ると、親子は別れることになった。母は、我が子の後ろ姿の見える限り、ぼんやりとたちつくしていたが、その姿がとうとう見えなくなると、寂しさと悲しさとに耐えかねて、朽木を倒すように、大地に突っ伏して亡くなった。
母が死んだとも知らないパルチファルは、瘦せ馬にまたがって、とある広野へ出た。野には幾つかのテントが張ってあった。彼は何気なくテントの一つをのぞき込むと、中に美しい女が、すやすやと眠っていた。まじまじと女の顔を見つめていた彼の耳に、接吻、という声がした。森を出るとき母が「道で遇う打つ空士イオン兄は、接吻しなくてはならない」と教えた言葉を思い浮かべたのである。愚者と思われるほど、世間のことを知らない彼は、母の教えを守って、鞍を滑り下りると見る間に、女の頬に唇を風れた。女は、はっと目を覚ました。と、目の前には、みすぼらしい若者が、茫然として立っている。女は美しい眉をぴりりと動かして、「何をなさる。失礼ではありませんか。だしぬけに女の顔に口をつけるなんぞ」と、無礼をなじった。パルチファルは驚いた。彼には、母の言葉はいつもよい教えであった。母の教えを守ってしたことが、女を怒らせるとは、夢にも思わなかったことである。彼は慌てて、言葉もしどろもどろに、自分の無礼を詫びた。女は彼のおかしな姿とあどけない心とを面白いと思ったのか、すぐに怒りをやわらげた。そして白い腕から腕輪をはずして、パルチファルに与えた。少し行くと、渡し場に来た。パルチファルは、渡し銭を持たぬので、女から貰った腕輪を与えた。そしてアーサー王の館で試合が催されていると聞いて、そなたをさして痩せ馬を打たせていると、赤く装った騎士と遇った。騎士は、みすぼらしい彼の装いと、やせこけた馬とをじろじろと眺めながら、「どこへお出で召さる。あっぱれの騎士殿」とあざけった。罪のないパルチファルは、恭しく会釈して、「物の具と馬とを申し受けるために、アーサー王の館を訪れるものだ」と答えた。
館に近づくにつれて、複数の子供が集まってきた。そしてパルチファルの痩せ馬の後から、ワイワイと囃し立てる。世間離れした怪しい装いを口々に罵り騒ぎながら、子供たちは、やがて馬の行く手をふさいで、円い目を一斉にパルチファルに向けた。パルチファルは馬の上から、柔和な目で子供を見下ろしていた。と、アーサー王の童の一人が通りかかって、ことの次第を聞いて、パルチファルを王の館に案内した。館の広間には、王をはじめ多くの騎士が、綺羅星のように並んでいた。華やかな騎士の装いをい見慣れなかったパルチファルは、どれが王だかさっぱりわからなかった。ただきらびやかな色彩と光とが、彼の眼を驚かして、燦として輝いているばかりであった。彼は先に立つ童の袖をそっと引っ張って、「館には、幾人のアーサー王がおられるのか」と尋ねた。童はたちまち吹き出しそうになったが、王者の前であると気が付いて、きっと唇を噛んでおかしさをこらえながら、「アーサー王は天にも地にもただ一人」と、そっと指を挙げて、室の正面を指した。指の先をたどったパルチファルの眼には、正面の高い座に、黄金をちりばめた椅子に豊かにもたれた男が映った。男の頭には、美しい冠が乗っている。パルチファルは、会釈もなくつかつかと歩み寄って、王が腰かけている壇の下に迫った。一座の騎士が何者だろうと鷹のような眼を見張る間もなく、彼は高い声で「某はパルチファルと申す男」と名乗って、「赤く装った騎士の物の具と馬が欲しい」と無邪気な子供が、母に物を強請るような風情である。王は言葉も出さないで、じっとパルチファルを見下ろした。王者を物の数ともせぬう胆太い曲者とは少しも見えなかった。都人の礼儀を知らない田舎節の愚かなる振る舞いと気が付いた王は、気高い顔に少しばかり笑みを見せて、「その物の具と馬が欲しければ、太刀先の手柄で申し受けるまでだ」と迫らぬ調子で言った。と、パルチファルは、軽く王に会釈したかと思うと、くるりと王に背を見せてつかつかと広間から出て行った。一座の騎士は、ただ眼と眼を見合わせて、呆気に取られていた。
王の館を出たパルチファルは、痩せ馬の鞍をたたいて、赤い騎士を探し回った。赤い騎士は、甲走った蹄の音に驚いて、後ろを振り返ると、先の田舎びた男が、一散に馬を此方に駆けさせている。何事だろうと思う間もなく、パルチファルは馬の上から、試合を所望した。こざかしい若者と思い侮りながら、「よろしい、勝負してやろう。負けると、命がなくなるぞ」と言って、騎士はすぐに槍の穂先を繰り出した。パルチファルもむやみに槍をしごいて突き立てた。森の中に生い立って、武士の技に慣れぬ彼は、ただ無二無三に突き立てるばかりであった。しかし天性備わる技の妙か。赤い騎士はその穂先を受け損ねて、ぐさと胸を突かれた。パルチファルは、騎士の馬の手綱を傍らの樹に結んだ。そして亡骸の側にひざまずいて、物の具を解こうとした。しかし生まれて初めて甲冑に手を触れたので、どうしても解けぬ。困り切っていると、先の童が来て、それを解いて、パルチファルに着せてくれた。日頃の希を遂げた彼は、果実を手に入れた子供のように、いそいそとしてどこともなく立ち去った。
パルチファルは、飄然として彼方此方を巡り歩いた。グルネマンツ(Gurnemanz)の城を訪れて、武士の技の奥義を窮め、騎士の礼に慣れたのも、この漂泊の賜物であった。しかし彼の胸の底に重くわだかまるのは母の事である。雨につけ風に着け、母のことを思い浮かべると、春の水のように滞りのない彼の心も、さすがによどんでくる。彼はついに暫しの別れを妻に告げて、森の中の寂しい母を訪れることにした。
淡き悲しみにとぼとぼとある湖の畔を歩いているパルチファルの前に、美しく装った一人の漁夫が現れた。パルチファルは、一夜の宿を貸すところはないかと尋ねた。すると漁夫は、心得顔に先に立って彼を導いた。しばらく山路を登ると、荘厳な殿堂が頭を押さえつけるように二人の前にそびえていた。パルチファルは、知らぬ間に、モントサルヴァッチなる聖杯の殿堂に導かれたのであった。殿堂に籠る人々は、眉を開いて喜んだ。彼らは、「それ、神の託宣が現実となって、アムフォルタスの悩みを救う武士が現れたぞ」と口々にののしり騒いだ。パルチファルが殿堂に近づくと、跳ね橋がするすると降りて、美しい衣を着た僕どもが喜びの色を湛えて恭しく彼を迎えた。そして珠玉を鏤めた衣を取り出して、彼を美しくよそわせながら、長い間お待ち申しました、と言った。パルチファルは、雷に撃たれた者のように、茫然として突っ立った。初めて会った人々が、久しく自分を待っていたとは、何という不思議であろうと、胸騒ぎがしたのだ。しかし僕がつつましやかに身を屈めて、彼の先に立って歩みだしたとき、彼は後れた風情もなく、のこのことそのあとに続いた。眼をくらますばかりに橙を連ねた広間の前に来ると、僕どもはぴたりと脚を留めて、どうか中にお入りくださいませ、と言った。パルチファルは中に入った。広間の中には、四百の騎士が柔らかな敷物を重ねて、豊かに座っていた。水を打ったようにしめやかな広間は、吐く息すら聞こえるばかりで、騎士どもはみな頭を垂れている。パルチファルが入ってきたとき、彼らは一斉に頭をあげた。顔には沈み切った物々しさが漂っていた。しかし八百の目がパルチファルの姿に落ちると、喜びの影が電光のように、ちらりと彼らの顔に閃き渡った。パルチファルは、唖のように広間の中央に突っ立っていたが、やがて毛皮に包まれながら、正面の高い壇の上に横たわっている一人の男が彼の眼に入った。重い病に悩まされているのか、男の顔は痛ましいまで蒼くやつれっていた。やがて男は細い手を挙げて、パルチファルを差し招いた。そば近く来いというのであろう。パルチファルがつかつかと歩み寄ると、男は目も覚めるばかりに美しい剣を彼に与えた。そしてかすれた声で、「長い間貴殿をお待ちいたした」と言った。男は言うまでもなく、聖杯保護の主アムフォルタスであった。パルチファルはいよいよ驚いた。しかし黙ってその男の側に座っていた。むやみに口を開いて、さまざまのことを聞き出すのは、騎士にふさわしからぬ振る舞いだと思ったからである。と、たちまち大きな戸がすうっと開いて、一人の僕が現れた。。手には血にまみれた槍の穂先が載っていた。僕はきっと口を結んだまま、恭しくそれを捧げて、広い部屋の周りを歩いた。眉の毛すらゆるがさないので、木彫りの人に魂が入って動き出したとも見える。四百の騎士は、槍の穂先にきっと眼を注いで、一斉に奈落の底から押し出されたような唸りを発した。何事の起こったのかとパルチファルは驚いた。けれども依然として黙っていた。
僕の姿が室の外に消えると、まもなく再び戸が開いて、大勢の美しい乙女が列をなして、鳩の群れのようにしとやかに入ってきた。そして縫い箔の敷物と、黒檀の小机とを、毛皮に包まれている男の前に置いた。乙女の群れが尽きると、アムフォルタスの妹ルパンス(Repanse)が光り輝く聖杯を捧げて現れた。そして恭しく聖杯をアムフォルタスの前にあった小机に据えると、「聖杯ぞ、聖杯ぞ」という声が幽かに部屋を流れた。乙女の群れはやがて部屋を去った。騎士どもは座を滑って、聖杯を囲んで小さい環を造った。毛皮に包まれたアムフォルタスも、悩まし気に身を起こした。と、その途端に聖杯から美酒と魚とが泉のように湧き出した。一座の者は、無言のうちにそれを悔いながら、おりおり悲し気な目を挙げてパルチファルを見た。眼には天にも地にもわが種の悩みを射やすは、君一人の力という切なる願いが籠っていた。しかしパルチファルは黙っている。もし口を開いて、ただ一言アムフォルタスのただならぬ様を尋ねると、彼の悩みがたちどころに癒えるとは夢にだに知らなかったのであった。
食事が終わると、アムフォルタスは、苦しそうに身を起こした。そして恨むような、責めるような眼を、パルチファルに向けたまま、部屋を出て行った。出るとき、彼の胸から、重い息が漏れた。四百人の騎士も、怒った顔をして主人の後ろに続いた。パルチファルだけが、何が何やらさっぱりわからないで、ぼんやり座っていた。すると、一人の僕が現れて、彼を一間に案内した。そこには一人の老人が、白いひげを乱して、苦しそうに眠っていた。アムフォルタスの祖父のチツレルである。しかしパルチファルは、いよいよわけがわからなくなって、やはり黙りこくっていた。僕は最後に、パルチファルを寝室に連れて行った。寝室の帳には、物々しく奇しき絵が縫い取りしてあった。パルチファルは珍しそうに帳を見渡していたが、毛皮に包まれていた先刻の主人が、鋭い槍に脇腹を貫かれている絵が目に入ると、怪しんで僕の方を振り向いたが、口に出しては何とも尋ねなかった。彼は「夜が明けたら、何もかも明らかになるだろう」と思って、静かに床の上に横たわった。
翌朝目が覚めると、パルチファルは僕を呼んだ。しかしあたりは寂然(せきぜん)として答える者もなかった。彼は驚いて、部屋の中を見渡した。ありとある戸が固く閉ざされて、ただ外面に出る路だけが開いている。パルチファルが跳ね起きると、馬のいななく声が響いた。見ると、自分の馬が部屋の外につないであった。パルチファルは、物の怪に誘われたように、部屋を出て馬の背に飛び乗るなり、四つの蹄を鳴らして、刎橋をかなたに渡った。渡ってしまうと、刎橋はすぐに元のように刎ねかえったが、その途端に、後ろの方で厳かな声がして、「愚かなものよ、汝は呪われた。大切な任務を果たすべくして果たさなかった愚かなものよ、汝は呪われの身となった。」と言った。パルチファルは首を知事馬手、やたらに馬を走らせた。その日の夕暮れに、とある荒野に来た。荒野の中に一つの庵が見えたので、パルチファルは何気なくそこに立ち寄ると、一人の女が泣き伏していた。彼は驚き怪しんで、何が悲しいのかと尋ねると、女はきっとパルチファルを見つめて、「あなたは、何という愚かな方でしょう。アムフォルタスの悩みを見ながら、黙っていらっしたんですもの。たった一言、悩みをいたわる言葉をかけてくだされば、すぐに元の体になれたのですよ」と言った。女はアムフォルタスの姪であった。
女の話を聞いたパルチファルは、身をもがいて、自分の愚かさを口惜しがっていたが、やがてまた馬に飛びのって、聖杯の殿堂を指して駆けだした。しかし呪われた者の目には、どうしてもそれが見つからなかった。ぼぷ全として馬を立てていると、どこからとなく、「呪われた者よ、呪いが尽きるとき、再び聖杯の殿堂に来たれ。呪いはただ汝のたゆまぬ勤行(ごんぎょう)によって尽きる」という声が聞こえたパルチファルは情け深い男であった。だからこの怪しい声を聴くと、「よし、どんな苦しい勤行をしても、一刻も早く呪いが尽きるようにして、アムフォルタスの悩みを救わねばならない」と堅く決心した。彼は、それから諸国を回って、懸命に弱い者を助け強い者を挫いた。そして正しい道を踏み、邪な行いを謹んで、ひたすら呪いの尽きるのを願っていた。勤行の日数が重なるにつれて、いろんな誘惑が彼の心を惹いた。彼は歯を食いしばって、強い誘いの手を退けていた。しかしさすがに母の事妻のことが、折々胸に浮かんで、やるせない寂しさを覚える。そんな時、パルチファルは、いつも声高く、「聖杯よ、聖杯よ」と叫んで、やっと気を紛らわすのであった。
行く歳月の勤行の間には、いろんなことが起こった。ある時彼は、鎖につながれた一人の女が、騎士からさんざんにうち叩かれているのを見た。彼は騎士の振る舞いを憎んで、戦いを挑んで、ひどく負かしてやった。騎士は大地にひざまずいて、許しを乞うたが、「しかし某とて、罪もない者を打擲したのではない。それがしの妻が見も知らない男に腕輪を与えた咎を責めているのである」と話した。いつぞや見知らぬ女に接吻して腕輪をもらったことのあるパルチファルは驚いて、その腕輪を戴いた男は自分であると告げ、その時のことを詳しく話し、女に罪はないというと、騎士は頭を垂れて、自分の乱暴な振る舞いを詫びた。パルチファルの名が、四方に広まるにつれて、アーサー王は、再び彼に会いたいと思った。それで王は、大勢の騎士をやって、パルチファルを探させた。やがてパルチファルは、騎士たちに連れられて、アーサー王の館にやって来た。そして円卓に着くことを許されると、何気なく黄金の文字で鮮やかに「危うき誘い」と記された席に着こうとした。と、巫女のクンドリー(Kundrie)が忽然と姿を現して、もゆるような激しい目で、はたとパルチファルをにらみつけながら、「罪を犯さぬ正しい者だけが、その座に着くことができる。そなたは、恐ろしい呪われの身ぞ」と厳かな声で叫んだ。パルチファルははっとして、巫女の顔を見上げた。体が震えて、冷たい汗が額ににじみ出たかと思うと、きっと唇を噛んで、そのまま広間を出てしまった。自分の心の怠りを責めて、またもや勤行の旅を続けようというのである。円卓騎士の一人であるガウェーン(Gawain)は、パルチファルが思い沈んで、アーサー王の館を立ち去ったのを哀れと思って、そっとそのあとを追った。しかし四年の月日がたっても、パルチファルの姿を見出すことができなかった。
一日モントサルヴァッチに差し掛かった時、ガウェーンは、美しい女に遇った。彼は女の前にひざまずいて、急に沸き返った恋心をささやいた。すると、女は少しばかり笑って、「その恋を叶えるつもりならば、私の馬を近くの花園から引き出してくれ」と言った。ガウェーンはすぐに花園から馬を引き出して来た。と、女は長い裳裾を翻して、鞍の上に乗った。ガウェーンも自分の馬にまたがって、女の後ろに続いた。女の馬の鼻面の向くところ、必ず道を行く人と争いを引き起こす。そしてそのたびに、女はガウェーンに振り向いて、「私のために戦って」というのだった。ガウェーンは恋のかなわぬのを恐れて、根もない男と槍を交えなくてはならなかった。ある日二人は、とある小山の頂に登った。谷を隔てて、大きな白が見えた。女はその城を指しながら、「あれがグラモフラウスという男の住居よ。御身の恋を叶えんとなら、城の側の松の樹を一枝お折りなされ。枝を折ると、男が怒ります。怒った男を御身の前にひざまずかせた時こそ、私が御身の妻となるときよ」と言った。これを聞くと、ガウェーンは、一刻の猶予もなく山を降った。そして谷を流れている小河を泳ぎ超えて、目指す松野樹の下に立ったかと思うと、たちまちぽきりと一枝を折った。途端にグラモフラウスが現れて、「枝を折った者は、私と闘う掟だ。覚悟しろ」と怒鳴った。ガウェーンはすぐにこれに応じた。そして二人で相談をして、八日の後クリングゾル(Klingsor)という者の城の庭で戦おうと約束した。ガウェーンが、女の側に引き返してきて、約束したことを話すと、女は、「クリングゾルは、名高い魔法使いよ。魔法を使って、たくさんの女を盗み出しては、城の中に閉じ込めて置くという噂よ」と言った。かつて何者かのために自分の母と妹を盗まれているガウェーンは、これを聞くと、もしやと思って、ある夜クリングゾルの城の許に忍び寄った。ありとある窓に、赤々と燈の光が差して、涙に泣きぬれた女の顔がたくさん見えた。ガウェーンは、門を守っている兵どもの許しを受けて、一人で城の中に入っていった。城の中はひっそりと静まり返っていた。部屋から部屋へと、のこのこ歩き回ったが、人影すら見えなかった。
ガウェーンは、探しあぐんで、傍らに遇った一つの椅子に腰をおろしたかと思うと、たちまち天上から槍や担当がばらばらと降って来た。しかし幸いに物の具の裏掻くまでもなかった。身を構えるまもなく、一人の大男が、こん棒をもって、現れた。大男の後には、長い鬣を揺るがせて、一頭の獅子がついて来た。大男は、ガウェーンが槍や剣のために命を落とさなかったのを見ると、驚いて急いで引き返した。しかし獅子は、ものすごい声で吼え立てて、いきなりガウェーンに躍りかかった。ガウェーンは、慢心の力をふるって獅子と戦った。そしてとうとうこれっを殺したが、自分も力が尽きて、そこに倒れてしまった。獅子は、魔法師クリングゾルが姿を変えていたのであった。獅子が倒れたのと一緒に、魔法の力が消えて、一間に閉じ込められていた女たちの体が自由になった。女たちは、嬉しさのあまりに、野の鳥のように館の中を駆け回っていると、ものすごい獅子と若い騎士が血に染まって倒れていた。女たちは、あっと叫んで、体がすくんでしまった。気が遠くなっていたガウェーンは、あたりの物音を耳にして、頭を少し持ち上げた。途端に大勢の女の中から飛び出して、彼に抱き着いたものがあった。はっと驚いて、大きく目を見張ると、それは長い間生死さえ知れなかった母と妹とであった。ガウェーンは、あまりの嬉しさに、暫くは、たわけた者のように、二人の顔をじろじろと眺めるばかりであった。
親子兄妹の再会の喜びに、暫くよのおなかのことを忘れていた間に、八日の後と定められた一騎打ちの勝負の日が来た。と、まだ晴れやらぬ横部もから漏れてくる日の光に照らされながら、アーサー王が、馬上豊にクリングゾルの城に現れた。数々の騎士が、あたりを払う姿勢を見せて、そのあとに続いてくる。鞍を降りた王はガウェーンに鷹揚な笑みを見せて、「御身の手並みを見るために、わざわざカメロットから来たのだ」と言った。ガウェーンははっと頭を垂れた。
やがて試合が始まる。王は、左右に流れる騎士の中央に床几を据えて、楽しそうな顔をしている。肩を滑って緩やかに大地に垂れる緋の衣が、しずしずと現れて、ガウェーンに軽く会釈した。グラモフラウスに代わってガウェーンと闘う騎士が現れて、ガウェーンに軽く会釈した。黒い色のビゾルで面を深く覆っているので、どんな人ということもわからなかった。しかしガウェーンは、臆した様子もなく、軽く会釈を返して、すっくと立ちあがると見る間に、剣の音が忙しく響き始めた。覆面の騎士の剣は、目にもとまらぬほどに速く動いて、さすがのガウェーンも、覚えずたじたじとなる。騎士はおっと叫んで相手の肩に一撃を加えようとした。途端に鋭い女の声がして、「覆面の騎士殿、手を下し給うな。情けあらばガウェーンの命を惜しみたまへ」と言った。ガウェーンの命を惜しんで、覆面の騎士に声をかけたのは、彼の妹であった。と、騎士はかちりと高い音を立てて、剣を鞘に収めて、静かにビゾルを捧げた。一座の者は覚えず眼を凝らしてビゾルの下をのぞいた。ビゾルの下からは、パルチファルの悲しみを含んだ厳かな顔が現れた。ガウェーンはたちまち駆け寄って、その手をむずと握った。幾年の間探しあぐんだ懐かしい友と、思わぬ場所に巡り合った彼の胸には、千万無量の思いが浮かんだ。
アーサー王がカメロットに帰った後、ガウェーンは恋がかなって、思う女と結婚した。グラモフラウスも、ガウェーンの妹と結婚の式を挙げた。こうして人々の顔には隠しえぬ嬉しさが踊っていたが、ただパルチファルばかりは、自分の過ちとアムフォルタスの悩みとに胸を痛めて、とかくふさぎがちであった。
やがて彼は、人々に別れを告げて、どこともなく苦しい勤行の旅に出た。苦しい勤行の功が積もって行くにつれて、思い呪いの影が次第に近づいてくる。ある日パルチファルは、長い旅路に疲れ果てた体を、とある隠者の庵に横たえた。隠者は幽かな燈火の許で、縷々としてモントサルヴァッチを訪れた沈黙の騎士のことを物語った。「アムフォルタスの悩みは呪いのためだ。呪いはたやすくとける。神の御手に導かれた騎士が、ただ一言悩みをいたわる言葉をかけるまでのことだ。呪いはたやすく解ける。神の御手に導かれた騎士が、ただ一言悩みをいたわる言葉をかけるだけだ。だがその騎士はおろかにも口を利かなかったとか申す。そのために、わが身も呪いを受けて、諸国をさまよっているとか、とかく不憫な話だ」旅にやつれた目の前の騎士を、パルチファルと知らないで、隠者は、己が身の上のように口惜しそうに語った。眼をぶつって、隠者の話に耳を傾けていたパルチファルの額には、弱い燈火の光にもまぎれる汗の球がにじんでいる。話し終わった隠者は、ただならぬ騎士の気色を怪しんで、「いかがいたされた」と尋ねた。パルチファルは大きく肩を揺るがしながら、「某こそその不覚な騎士である」と言った。隠者は覚えず声を立てて驚いた。パルチファルは、自分の素性や、生い立ちや、聖殿での失敗や、苦しい勤行などを物語った。話の糸に引きずられて、眉をあげたり、ため息をついたりしていた隠者は話の糸の切れるのを待ちかねたように、「それではパルチファル殿は私の甥にあたる。あなたの母こそ私の妹なのです。」と言った。隠者はアムフォルタスの弟であった。隠者の言葉を聞いて、今度はパルチファルが驚かされた。しかし隠者が言葉を継いで、彼の母が自分の知らないうちに、あの世の人となってしまったかと思うと、鉄石の腸もちぎれる心地がした。隠者もさすがに声を曇らしながら、さまざまにパルチファルを慰めて、勤行の旅を続けることを進めた。
勤行の月が幾つとなく重なったとき、呪いが尽きた。しかしパルチファルは、呪いが尽きたとは知らないで、なおも悲しい旅を続けていた。神の御手は知らぬ間に呪いを離れて栄光に輝くjパルチファルを、モントサルヴァッチに導いた。導かれているとも知らないパルチファルは、ただ馬の鼻面の向いたままに、歩んでいるつもりであった。ある日彼は、とある山路に差し掛かった。路が険しいので、馬を降りて喘ぎ喘ぎ登って行った。登りつめた時、大きな殿堂が幻のように目の前に現れた。殿堂の姿は、なんとなく彼の心に見覚えがあるように思えた。すると、大きな戸が開いて、大勢の童が現れた。そして恭しく彼を広間に導いた。広間に揺らぐ燈火の光と毛皮に包まれる男とを見た時、彼の心に忽然として昔の思い出が浮かんだ。その瞬間に、「呪いが尽きて、再びモントサルヴァッチの聖杯の殿堂にたつ」という声が、耳に近く高鳴りするように覚えた。やがてルパンスが聖杯を捧げて入ってくると、彼は双の手を空に挙げて、厳かに神の助けを祈った。涼しい声が空から流れ落ちて来て、「悩める者の悩みを問え」と言った。はっと頭を垂れて、パルチファルは、毛皮に包まれたアムフォルタスのそば近くにひざまずいた、慰めの言葉が、彼の口から洩れたかと思うと、アムフォルタスはたちまちすっくと立ちあがった。悩みにやつれた面影はさらりと失せて、艶やかな頬に若い光さえ漂っている。広間に満ちた歓喜の声に、快い笑みを浮かべながら、アムフォルタスの祖父チツレルは、高く冠を捧げて、静かにパルチファルの側に歩み寄った。冠が栄光に輝くパルチファルの頭にのせられたとき、「尊い聖杯の保護の主として、今日から栄光の冠がパルチファルの頭に輝く」と、天地に響けと厳かな声でいうと、一座の者は、その声に合わせて、朗らかに万歳を唱えた。燦然たる光が、聖杯から発して、広間の中に華やかに流れ渡った。折から咎再び開いて、パルチファルの妻が双子を連れて、にっこりと笑いながら入って来た。パルチファルの心は今や嬉しさに満ち溢れていた。ぱらうちふぁるの妻は、どうして聖杯の殿堂に来ていたのであろう。伝説はいう、彼女は、聖杯に導かれて、夢心地のうちに、モントサルヴァッチの山路をたどったと。
考察
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水の魔の子孫
登場人物
| 登場人物 | ドイツ語 | |
| クロディオ | Clodio | アンデルナッハの地の王 |
| メロウィッヒ | Merowig | クロディオの妃が水の魔によって宿した子供。怪物のような容姿 |
| チルデリック | Childeric | メロウィッヒの後継者 |
| バシウム | Basium | ツリンギアの王 |
| ウィノマズス | Winomadus | チルデリックの唯一の友達 |
あらすじ
昔ライン河の畔にアンデルナッハの地にクロディオという王が住んでいた。ある日王の妃が河に行って水を浴びていると、だしぬけに水が二つに裂けて、恐ろしい姿をしている水の魔がぬっとあらわれた。妃は気が遠くなるほど驚き恐れて、急いで逃げ出そうとした。しかしもう遅かった。彼女は水の魔の胸に抱きしめられて、身動きもできなくなってしまった。
時がたって、妃は一人の男の子を産み落とした。それは人間というよりはむしろ怪物であった。背骨に剛毛が生えっていて、手足に水かきがついていて、目は薄い膜でおおわれて、股と脛とには、光り輝く大きなうろこが生えていた。クロディオは、ものすごい鬼子の姿を眺めて、大きな嘆きのため息をついた。「水の魔の子だ。あの恐ろしいライン河の水の魔の」王はこうつぶやいた。しかしいまさらながらどうすることもできなかったので、かつてクリート島の王ミノスが怪物ミノタウロスを自分の子としたように、クロディオもこのものすごい鬼子を己が子供として育て上げることにした。子供にはメロウィッヒという名が与えられた。クロディオ王が死ぬと、メロウィッヒがそのあとを継いで王者となった。水の魔の血を受けたせいであろう、メロウィッヒの後に現れたもろもろの王者たちは、みな心の鈍い愚か者が多かった。
メロウィッヒの後を継いだチルデリック王もその一人であった。王があまりに愚かな、そして淫らな行いばかりしているので、故公文がみな怒り出して、王の位から引き下ろして、国の外に追い払ってしまった。チルデリック王は、ほうぼうの体でツリンギアに逃れて、この国の王バシウムの館に身を寄せることになった。かねてから王の淫楽の遊び相手となっていた唯一の友達ウィノマズスだけが、後に踏み止まって、王のために心を砕くことになった。
チルデリック王を追い払ったフランク人たちは、ローマの将軍アエギジウスを王に選んで、自分たちを治めてもらうことにした。ところがアエギジウスもチルデリックに劣らぬたわけ者であるということが分かったので、またもや王座から追い退けて、ほかに支配者を選ぼうとしていた。それと見たウィノマズスはすぐにツリンギアにいるチルデリックに手紙を飛ばして「いい機会だから、早く兵どもを率いてお帰りください」と言った。チルデリックは小躍りして喜んだ。彼はわずかばかりの旧臣とツリンギアの援兵とを引き連れて、ライン河の騎士に引き返して来た。だんだんと軍を吸据えていくうちに、かなたこなたから兵どもがはせ参じて、チルデリックが真っ先に立ってアンデルナッハに現れた時には、すごいほどの大群となっていた。アンデルナッハの人々はその勢いに手向かいかねて、再びチルデリックを自分たちの王者に仰ぐようになった。
考察
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巫女バシナ
登場人物
あらすじ
チルデリックはツリンギアのバシウム王の館に身を寄せている間に、いつも淫らな心から、自分の保護者であるバシウム王の妃バシナを言葉巧みにそそのかし、その情欲を誘っていた。そして、アンデルナッハの王位に着くことになると、ひそかに使いを出したり手紙を送ったりして、「バシウム王の許を離れて、それがしの側においであれ、栄華は御身の心のままだ」と説きたてた。バシナは、魔法にたけた巫女であった。人間業とは到底思えないほど、人間の未来の運命を見抜いたり、そうかと思えば、どんな人にも恐ろしい魔法の力を与えたりする離れ業が、彼女にはあった。自分のこれから先の運命や人民たちにお前に横たわっている運命を、かねてから知りたくてたまらなかったチルデリックが、このころでは、一にもバシナ、二にもバシナと騒ぎ立てるほど、彼女を頼みに思うようになったのも、無理はなかった。「では、私、一つあなたの運命を見せてあげましょう。私のいうときに、私の後についていらっしゃい」とバシナは、さも媚びるようななまめかしい言葉の後に、こういうことを書き連ねて、ある日、チルデリックの許へいい遣った。それから幾日か経ったある夜、草木も眠る真夜中の沈み切った空気を破って、二つの黒い影が、アンデルナッハの背後に怪物のようにそびえている丘を、足音を忍ばせながら登っていた。それは、姿こそ薄暗く朦朧としているものの、紛う方なく、一人はチルデリック、そして他の一人は巫女のバシナであった。二つの黒い影は、丘の頂まで来ると、ぴたりと止まった。
「そこにじっと立っていらっしゃい。私が魔法をかけ始めたら、あの野原の上を眺めるのですよ」女の声が人気もない寂しいこの丘の頂で囁いた。ほかの黒い影は、黙ったまま静かにうなずいた。すると、見る間に長い呪文が、訴えるように恨むように聞こえ始めた。「さあ、早く、呪文は終わったのです。早く野原の上を眺めて、そこに見えるものを話してちょうだい」。野原の上に眼をやったチルデリック王は、熱に浮かされたうわごとのように、「大きな火が、野原の上に。あたりは、真っ暗な闇だ」と叫んだかと思うと、行き詰ったように悶え始めた。バシナは、急ぎたてるように、こう傍らから促し立てた。もくもくと動いていたチルデリックの口が、たちまちぱっと大きく開くkと、再びうわごとが続けざまに滑り出して来た。「雲なす野獣の群れが見える。獅子、虎、桜豹、象、犀(さい)が見える。大口を開いてこちらへやってくる。危ない」チルデリック王は、苦しみ悶えながら、双の手で虚空を掴むようにして、一散に逃げ出そうとした。「逃げてはなりません。止まりなさい。早く、野原の上をお眺めなさい」だしぬけに冷や水のような言葉を浴びせかけられた彼は、無我夢中でぴたりと立ち止まって、死に物狂いの声を張り上げながら叫んだ。冷汗が、うち震う唇のあたりから、ぽたぽたと落ちている。
「熊や狼が見える。豹が突き進んで来た。豺(さい:赤狼)が、山狗(やまいぬ)が。ありがたい、あの恐ろしい他の野獣どもが見えなくなった」チルデリック王は、こう叫びながら、体をぶるぶるふるわせて、再び目を他へそらせてしまった。けれどもバシナは、そんなことには少しも頓着しないように、「どうしているのです。早くごらんなさいよ。どんなものが見えます?」といよいよ最後の勇気を起こさせようと、王を促し立てた。チルデリック王は、おののく眼を押し開くようにして、三度野原の方を見やった。「今犬が見えている。猫が、豆のような獣類がたくさん来ている。ちっぽけな動物が一匹、鼷鼠よい小さいくせに、あれほどたくさんな獣類に命令を下している。小さいのに自分より大きい獣類を食いはじめた。一匹、一匹と、残らずすべて飲み込んでしまった。恐ろしい」
彼は、総身を震わせながら、叫んだりつぶやいたりし続けた。再び火が燃え始め、今までの夢幻のようにくっきりと暗黒の中に浮かび出ていた野原や獣類は、ふっと消え果てて、あたりは、また冷たい闇夜の姿に立ち返った。チルデリックは、あまりのことに、暫くぼんやりとしているよりほかはなかった。バシナは、半ば気を失ったようにしている王の肩を、威勢よく叩きながら、「なにをそんなに考えていらっしゃるの。まあしっかりなさいよ。一番最初に現れた光景はね、あれは、私たちの跡継ぎの性質を表しているのですよ。その跡継ぎというのは、きtっと獅子のように大胆で、虎のように恐ろしく、象のように強く、犀のように非凡で、またあの桜豹のように美しいものばかり、しかも、みんな同じ年輩のものなのです。そして百年の間私たちの国を立派に治めてくれるに違いありません。」と、最初に現れた不思議な光景の意味を物語った。これを聞くと、今まで石のように黙りこくっていたチルデリック王は、嬉しさのあまり、だしぬけにそれはありがたいと言って躍り上がった。バシナは王の狂喜を他人事のように見ながら、こう話しだした。
「次の光景は、第二番目に現れた光景は、次の百年が間、この国を治める人々なのです。それは、私たちからいえば、さらにずっと降った子孫に違いありません。しかも彼らは、前の時代の人々と違って熊のように荒く、狼のように残忍で、そうかと思えば豺のように媚びへつらい、山狗のように猛悪なのですから、どうでしょう。考えても恐ろしいことです。人民たちの呪詛、いや彼ら自身たちの呪詛。それから最後の者たち、そうです、それは、それらの人々に続く次の百年間の支配者たちです。彼らは、もう前の時代の支配者たちの勇気も失せて、ただ弱弱しいのです。臆病なのです。ぐずぐず屋なのです。こうして彼らは、卑しい、見下げ果てたことの餌食になります。暴力、虚偽、狡猾の捕虜となってしまいます。彼らの、それからの運命。はは、それは惨めなものですよ。他の人間から、征服され、うち滅ぼされてしまおうというのですからね」
いつの間にか、チルデリック王の顔色は、土のように青黒くなっていた。バシナの言葉は、いちいち鋭い刀でえぐるように、チルデリック王の胸に深くつき入った。チルデリックは、幾度か幻のような、あの光景を次々と思い浮かべては、深い雲の中をさまようように、頼りなく考え続けていた。それにしてもこびりついたようにして耳から離れないのは、この幻の光景を物語っていくれた、バシナの言葉であった。歳月は、それから流れた。チルデリック王も死に、バシナもまたこの世を去って、新しい時代が、山から野から町から生まれた。バシナの予言は、果たして間違いなかった。メロビンジアン王朝は、三百年続いたが、とうとうヘリスタルのペピンのため、もろくも倒れてしまった。ペピンは、当時では名も知れない、一人の小男に過ぎなかった。
考察
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聖ウルスラ物語
登場人物
| 人物名 | 説明 |
| バイオネスト(Vionest) | | 英国の王様、紀元二百年頃 |
| ダリヤ | バイオネストの王妃 |
| ウルスラ | 信心深い娘。バイオネストとダリヤの子 |
| アグリップス | ドイツ貴族、ウルスラを息子と結婚させるためにイギリスへ使者を出す。 |
| パンツルス(Pantulus) | 聖徒の一人、肖像が聖ウルスラ寺院に掲げられている。ウルスラたちと共に付き添う |
| シリアクス | ローマ方法、ウルスラたちと共に付き添う |
| コーマン | アグリップスの息子。ウルスラと結婚をする。 |
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あらすじ
紀元二百年ごろの裕福で幸福だった英国を治めたバイオネストには跡取りがなく、王様は愁いに心を閉ざしていた。ある時嬉しいことに王妃ダリヤから可愛い姫が生まれた。名前をウルスラと言う。噂を聞いた若い王子は遥々海を越えて英国へと渡ってきた。けれども姫の眼に映るのは信仰で、聞こえる声も神の言葉のみだった。若い王子も姫の眼には汚いこの世の塵としか見えなかった。両親もこの様をみて溜息を洩らした。姫の噂はますます広がり、これを聞いたドイツの貴族アグリップスは使いを送って、息子に姫を戴けないかと言った。けれど姫は天使が夢の中に現れてお許しがない限りは誰が言っても結婚はしないとはねつけった。ほどなく姫の枕元に天使が現れた。ウルスラは神の信仰から人間の俗世へ立ち返ることになった。何度も海を越えて英国へとやってきたアグリップスの使いの言葉を断ることができなくなった。姫は父に嫁に行くことを話した。一万一千の乙女が花嫁の侍女として選びだされ、ラインへ向けて出発する船が用意された。姫は大勢の侍女に船路の安全を神が守ってくださると言い、賛美歌を捧げさせた。そして、船の用意をしていた船乗りたちを振根からおろし、船内には男一人としていなくなった。花嫁を載せた船はいイギリスを離れてライン河に向けて出港した。船はやがてライン河の口からコローンへ上り始めた。コローンの波止場は、ローマの知事の歓迎で大きな騒ぎだった。姫の一行は歓呼に迎えられて、また送り出された。姫たちはコローンを去って、バーゼルに遡った。ここでも歓呼の中に迎えられて、のちに聖徒の一人となったパンツルスが一行に加わった。やがて姫たちはローマへ来た。そこで待っていたローマ方法シリアクスは遥々イギリスから迎えた信者たちを見ると、喜んで、使徒たちが眠っている墓を案内して、みんなでお祈りをした。彼は、この年になるまでこれ程美しく信心深い乙女を見たことがなかったため姫を結婚に手放すことを考えて心が暗くなった。ローマ法王は暫く法皇の役を留守にして再びライン河を降ってコローンの街へ行く姫たちについていくと深く決するようにつぶやいた。ローマの巡礼を終えた姫たちは、歓喜に溢れながら、ライン河をくだった。メーヤンスにはアグリップスの息子が恋しい姫のためにいままで信じて来た邪教を捨て、新しくキリスト教を受けたコーマン王子が、姫の到着を待ちわびていた。王子は姫が到着すると、懐かしそうに歩み寄った。姫はにこやかな笑みを送った。歓声はメーヤンスの空高くまで響き渡った。姫はこうして巡礼の旅を終えて、いよいよコローンの街へ乗り込んで来た。花嫁と花婿の楽しい生活がここで始まった。二人はこの世の誰よりも幸福でなくてはならなかった。しかし恐ろしい悪魔が北から刻一刻と近づいていたのだった。ヨーロッパの北部で戦っていた蛮族たちが、平和な天国を見つけようと、南へ下ってきた。蛮族たちは聖都コローンの街へ攻め入った。静かな町は、見る間に血生臭い悪魔の戦場と化した。今まで神の福音を夢見ながら歩いていた人たちの首が血潮を噴きながら、吹っ飛んでしまった。数多の人々は十字架に釘付けにされて、唸り続けている。そして、薪が積まれ、手足を縛られた人々が炎の中に投げ込まれた。また、髭の中から目と鼻が覗いているような一人の蛮人が大きな岩を人々の上に落とした。コローンの街は見る間に焦土と化した。人々の骨は粉となった。その中には、一万一千の乙女たちや、聖徒パンツルスもあれば法王もあった。無論、ウルスラとコーマン王子もである。聖ウルスラ寺院の壁画はこの様を表している。そこには一万一千の乙女の骨がしまってある。
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